何者でもないし、何者でもある。
こんにちは(^。^)
占いとの付き合いは、結構長いです。
自分のカタチって何なのだろう?
って思ってたからですね。
小学校に行った時のギャップは悩ましかったです。
【勉強がたまたま出来たから、
あなたは頭が良いのね。】
【たまたまお花の絵を描いたから、
あなたは優しい子なのね。】
【コケても泣かなかったから、
あなたは強い子だね。】
でも、
家に帰ると、
【お菓子ばっかりでご飯食べない。
お前は偏食だね。】
【すぐ泣いて、怒って、
泣き虫でおこりんぼだね。】
【何も言わなくても宿題するなんて、
お前は凄いし、真面目だね。】
同じ自分なのに、
色んなカタチがあるのだなと。
不思議だなぁ〜と。
でも、どれが本当の自分なのだろう?
本当の自分っているのかな?
でも、
昔の僕はというと、
その他人が持って来たカタチに対して、
【これは違う!!本当の自分はこのカタチだ!!】
っていうタイプではなくて、
他人が持って来たカタチをみて、
じゃあ、それになってみよう(^^)
と思うタイプの子でした。
もしかしたら、
心のどこかで、
自分なんていなくて、
無形のもので、
何者でもないのだと、
分かっていたのかも知れません。
だから、
明確に定義される事によってのみでしか、
自分はこういう人なんだと、
輪郭を書くことが出来なかったのです。
だからか、
他人の期待に応える事が、
自分の役割。
そのカタチになると、
喜んでくれるのですから。
他人のカタチになる事で、
愛される。
僕はみんなに愛されたい。
だけど、
この心の虚しさはなんなのだろう。
多くの人の中で、
きちんと上手くカタチにハマっているはずなのに、
皆んなと一緒に笑っているのに、
どうして、
この世に独りぼっちのような気持ちになるのだろう。
ある日に。
本屋で占いの本を見つけました。
生年月日で、
性格が分かる。
へー。
自分ってこういう人なんだ!!
これって人からよく言われるな〜。
これはそうなのかなぁ〜?
良く言い過ぎじゃないかな?
でも、沢山人がいるのに、
12パターンしか無いって変なの。
でも、
なんでそんな事が分かるのだろうか?
なんか楽しい。
そして神秘的✨
一回自分の事、聞きたい。
聞いてみよう。
お小遣いを貯めて、
ゲームコーナーで遊んでるって言って、母親に嘘ついて、
こっそりデパートの占いコーナーに行きました。
おかしいですよね😁
小学生6年生で占いを受ける少年。
初めての占い鑑定⭐︎
おじいちゃんがいました。
どんな事聞いたのかもう忘れてますが、
最後におじいちゃんが言った言葉を覚えています。
「魂というのがあってね、それは形が無いんだよ。それが形のある身体に入ったんだよ。
だから、
君は何者でもないけど、何者でもあるんだよ。
元々カタチなんてないから、
自分がどういう人かって、
自分1人じゃ分からないんだよ。
だからこそ、
こうやって、君の前におじいちゃんがいて、
お母さんやお父さんがいて、友達がいるんだよ。
だから、
キミはこれからどんどん人を通して、
自分を理解していくんだよ。
まだ始まったばかりだよ。
自分のカタチを決めない方が良いよ。
おじいちゃんが言ったことも、
こうだって思わないほうが良いよ。
決めるのは君なんだよ。」
なんか覚えています。
なんか、結局分からなかったな。
考えても分からないんだな〜と。
その時はそうかぁ〜って感じで、
忘れてしまっていたけれど、
最近、急に思い出しました。
そして、今では、
その通りだなぁ〜と思います。
占いは自分を知るツールであるけど、
自分のカタチは自分で決めれば良い。
自分は目の前の世界によって、
理解出来ます。
自分が世界でしかないのだと。
だからこそ、
人との出会いによってどんどん理解していくし、アップグレードしていく。
それぞれ、自分のきっとカタチはあるけれど、
どんなカタチにもなれるだけの不思議さはある。
自分の事を、
ダメなやつとか、優しいだけだよね。優柔不断だね。
って定義してくる人じゃなくて、
凄いよ。あなたの優しさは素晴らしい。
もっともっと大きな才能があるよ。
そんな自分がワクワクするようなカタチをプレゼンしてくれる人と出会いたい。
会いたい人に会って、
自分というものを確かめて、
定義したい。
会いたくない人となんて会いたくないし、
そんな人のカタチにハマってはいけない。
そして、胸を張って、
自分のカタチはこのカタチなんだって言えるようになる。
誰かを愛したい。
誰かに愛されたい。
でも、本当は、
自分を愛したい。
きっとその物語なんです。
あのおじいちゃん、元気かなぁ?
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