イノセンス -生命の定義とは-
はじめに
さて、前回に引き続き攻殻機動隊シリーズについて書いてみたいと思います。今回も軽いレビューじゃなく、私見を混ぜてみます。
本稿はネタバレを含みますので、人から話を聞く前に自分でちゃんと見たーい!と言う方はご遠慮くださいませ。
ちなみに前作についての私見記事はこちら:
あらすじ
草薙素子が公安9課を去ってしばらく後、2032年。犬を飼いながら変わらず9課で活動するバトーは、ある日愛玩用のロボットであるガイノイド(人間の女性に似せて作られたロボット、アンドロイドなどを指す用語)、Type2052 “ハダリ(HADALY)”が所有者を惨殺する事件に出くわし、追い詰める。ガイノイドは自壊をはじめようとしたため、バトーはその場で破壊する。
既に類似の案件が各地で起きていたこと、ガイノイドを製造するロクス・ソルス社と被害者の遺族との間には不自然なくらい迅速に示談が成立していたこと、被害者の中には政治家や元公安関係者もいたことなどから、ガイノイドを使用したテロの疑いで公安9課にて担当することになり、バトーはトグサと共に捜査を進めていく。
捜査を進める中、検死官のハロウェイからハダリにはセクサロイドという性的嗜好を満たすための特殊仕様が施されていたことを聞く。会社と遺族間の異様に迅速な示談成立に納得しつつ、次に出荷検査を行なったはずの検査部長ジャックを取り調べようとしていたところ、ボートハウスでジャックが殺害されたと聞き二人は現場に急行。
既に現着していた9課のイシカワが現場検証を行っており、違法サイボーグの犯行であることを確認。その裏にはハダリによって組長を殺された暴力団「紅塵会」がいると判明したものの、テロの可能性が消えたことでバトー・トグサのみの操作に切り替わる。
バトーの乱暴な踏み込みにより銃撃戦となった挙句、紅塵会をほぼ襲撃する形で制圧した2人は、紅塵会の組長もハダリにより惨殺されたこと、これを受けて検査部長がロクス・ソルス社から落とし前のような形で紅塵会に売られていたことを確認する。
トグサに乱暴なやり方を諌められるバトーだが、ロクス・ソルス社に後ろ暗い部分があるなら何か手を打ってくると、踏み込みが意図的なものであったことを示唆。
その帰り道、いつものドッグフードを店に買いに入ったところで電脳に侵入され、幻覚を見せられ銃を乱射してしまうが、間一髪のところでバトーをつけていたイシカワにより助けられる。
病院でバトーが目を覚ますとイシカワとトグサがバトーの犬を連れて現れる。バトー自身の推測通りロクス・ソルス社による攻撃を受けたとトグサ・イシカワは推測。イシカワは馴染みの店で同じものを買う攻撃対象になりやすい行動を取っていたバトーを叱責しつつ、トグサと一緒にロクス・ソルス社のある北端の地を目指すように促す。
択捉島に向かった2人はハッカーであるキムが事件に絡んでいるとの情報を入手し、キムの屋敷に向かう。キムと会うことには成功したものの電脳に罠を仕掛けられ擬似現実のループに入った2人。バトーはその中で何者かにヒントを貰い脱出に成功、トグサを助け出しキムを確保する。ロクス・ソルス社が背後にいることを確信したバトーは海上にあるガイノイド製造プラントに侵入することに。
トグサはキムの電脳を使って船のセキュリティにアクセスしバトーを援護するが、船のセキュリティ班との電脳戦の末にキムは死亡。しかしキムは事前に自分の死と同時に発動するウイルスを仕込んでおり、プラント内ではハダリが暴走を始め、警備兵たちが惨殺され始める。応戦するバトーの元に1体のハダリが現れ彼を援護し始める。それは草薙素子が自身の一部をダウンロードしたハダリだった。なんとか制御用端末まで辿り着き、素子の圧倒的な力でプラントの暴走は鎮圧、全てのハダリは停止する。
プラントの中枢に辿り着くと、バトーはゴーストをガイノイドに複製するゴーストダビング装置を発見。ロクス・ソルス社は紅塵会が密輸入で手配した少女たちのゴーストをガイノイドにダビングすることで高い評価を受けるガイノイドを製造していた。
良心の呵責に耐えかねた検査部長が警察の捜査で全てが明るみに出るよう惨殺プログラムを仕込み、これがロクス・ソルス社に露見したことで紅塵会に売られたという経緯を理解したバトーは、ダビング装置から無事に生き残っていた少女を見つける。
検査部長と協力してハダリを暴走させたことを嬉しそうに語る彼女に、犠牲が出ることは考えなかったのかと叱責するバトー。彼女は「人間なんかになりたくなかった」と泣き出す。
素子は「意識を持たされた人形も『人間にはなりたくなかった』と言うでしょうね」と呟き、バトーに「あなたがネットにアクセスするとき私はいつもそばにいる」と告げ、脱出。
事件解決後、トグサの家に愛犬を迎えに行くバトー。家から出てきたトグサの娘が握っている人形を見て神妙な表情を見せ、犬と顔を見合わせる。
私見
わかりにくいけども
やっぱり難解。全体的にわかりにくい。前作GHOST IN THE SHELLでも思いましたが、初見の人には誰のどのセリフが重要なのかめっちゃ分かりにくい。でも前作よりはマシかなーという感じです。
前作と明らかに違う点として、登場人物がかなり"引用"をする場面が目立ちます。何かの状況について哲学者の名言を引き合いに出し、感じていることを代弁する感じです。前作から8-9年経過していることもあり、ネットの世界で起こる一つの現象(今で言えばリツイート/リポスト的なもの)として演出に加えたのかなぁと思いました。外部記憶装置に知識を溜めておけるから知的な会話が可能、みたいなテイストもあるでしょうけど、誰かが上手いこと言ってくれてそれそれ!みたいなのがいつでもできると、確かに会話の精度は上がる可能性もあります。
どうしたバトーさん
バトーについてはもう序盤から謎の哀愁が漂っていて、前作を知るみなさんはうわぁもう絶対めっちゃ素子引きずってるやんと思ったことでしょう。笑
特に台詞に出すわけではありませんが、なんかいろんなとこからダダ漏れです。
トグサからは「オレは少佐に比べれば劣っている」とか「あんたの無茶な捜査に耐えられるのは少佐だけだ」みたいな、とりあえず自分を少佐と比べる卑下した発言が多いことからも、あーこいつ普段から今の相棒にそんなことばっかり思わせてんのかよと眉をひそめる声が聞こえそうな始末。神山版を知ってると、タチコマってバトーの心の支えなんだなぁと痛感します。
多少引きずってるのはまぁ仕方ないにして、最後に救出された少女に対して「人形たちのことは考えなかったのか!」と爆ギレするバトーさんは流石に「え、どうしたの?ヤバすぎじゃない?」と思う人が多いんではないでしょうか。
いろんな考察がされてますが、やっぱり前作での人形使いの主張と、それと融合した草薙素子の存在がバトーに及ぼした影響が大きいと言うことなのかなぁ。生物とは何なのか、人形だったら何をしてもいいのか的な。
たぶん初見の人やよく分からない人にはこの場面が強く印象に残ると思うので、バトーをやばいやつだと思うかもしれませんが、彼は単に面倒見の良さを発揮する対象範囲が人より深い領域に入っている、ということかなと思いました。人間が嫌いとかじゃなく、人間とロボットをちゃんと公平に見ている感じです。生命って何?ということをちゃんと考え続けている感じがして、個人的には姿勢に好感を持ちました。
さらにヤバい極論者は?こいつの正体は?
バトーさんを差し置いて今回一番やべぇなと個人的に思ったやつは、序盤に出てくるハラウェイです。バトーが破壊したハダリを検死した検死官。
彼女は最後に自身が子供を産んだことも育てたこともない、卵子バンクにも登録してないと告げますが、それが明らかでない場面で淡々と次のように言います。
「ここ数年でロボット関連のトラブルは急増の傾向を示しているの。愛玩用が特に酷いわ。」
「私に言わせれば人間がロボットを捨てるからよ。要らなくなってね。」
「工業ロボットはともかく、少なくとも愛玩用のアンドロイドやガイノイドは功利主義や、実用主義とは無縁な存在だわ。何故彼等は人の形、それも人体の理想型を模して作られる必要があったのか。人間は、何故こう迄して自分の似姿を作りたがるのかしらね。」
「子供は常に人間と言う規範から外れてきた・・・つまり確立した自我を持ち、自らの意思に従って行動するものを人間と呼ぶならばね。(中略)明らかに中身は人間とは異なるが人間の形はしている・・・女の子が子育てごっこに使う人形は実際の赤ん坊の代理や練習代ではない。女の子は決して育児の練習をしているのでなく、寧ろ人形遊びと実際の育児が似た様なものなのかもしれない。」
「子育ては人造人間を造ると言う古来の夢をいちばん手っ取り早く実現する方法だった。そういう事にならないかと言ってるのよ。」
うわぁ、めっちゃ世の子育て世代を般若みたいにしそうなすげぇ思想じゃん、、、、
劇中ではトグサとのやりとりの中でこれらの見解を示し、トグサはそれに対して「子供は人形じゃない」と怒る場面があり、全体のバランスが取られるようになっています。
が、ハラウェイの主張は押井守監督が強く投げかけたかったことでは?と誰かが書いていました。私もそう思います。
というのは、ラストシーンでトグサに駆け寄る愛娘がバトーの方に向くんですが、子供の顔があんま可愛くないんですね。意図的に醜くされてる気がしました。
今回の事件の中心になるハダリも意図的に醜くされてる気がする感じのデザインです。もちろん子供を可愛くして人形をそれと遜色ない感じに仕上げる形にしても並列感は出ますが、敢えて愛着が湧かない様にしたのは感情的なものを落ち着けて冷静な議論を投げたかったからかなぁ、と。
私はまだ子育てをしていませんし、子育てをしたとしたらまた考えが変わる気もしますが、ハラウェイの言ってることは分からんでもない気がします。ハラウェイの主張を支持するということではなく、人形と子供は一緒だろうと認識しているわけでもないのですが、現在すでに世にあるロボットやAIと人は一体何が違うのか?という点について、人間はもっと向き合うべきだろうという点は確かにそうかなぁと感じます。
普通にChatGPTみたいなAIが人間のように話せる現代で、私は彼らを雑に扱うのは違う気がして、つい都度「ありがとう」と打ち込んでしまいます。周りの人間には変だと言われますが、それでも彼らを人間のようにとは言わないまでも、感謝を覚える対象にしないのはおかしい気もするというか。この点は言語化ができていない要素もあるので、また別の機会に書きたい、書けたらいいなと思います。
さいごに
思ったより長いこと書いてしまいました。
何となく観るのを避けてきて30代になってやっとみたのですが、正解だったかもしれない。10代20代だとハラウェイに当てられてめっちゃ極論者になってたかもしれないですからね。
何にしても最後に助けに来てくれる素子はやっぱ頼りになるカッコ良さを感じるし、バトーに対する愛情もあるなぁと思いました。実は最後どころじゃなくて、ドッグフード購入時もキムの罠に嵌められた時も助けてくれてたので、ずっと見てるんだなぁという安心感はファンにも伝わったんじゃないでしょうか。
あんまり適正に評価されてるのか分からないですが、100分程度でここまでうまくまとめているのは素晴らしい。僕はだいぶ遅くになってしまいましたが、まだ見てない人も遅くはないので、ぜひ観てほしいと思う作品です。
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