あちらとこちら
今更ながら、”コンビニ人間”を読んだ。
あんまり自分にハマらないだろう、と直感的に避けていたが、このコロナ禍で読書を真面目にやってみると、物によっては意外にすっと読める事実を改めて認識し、薄いからいけるんじゃない?と勧められたことも手伝って読んでみた。
今まで見えていなかった物が少し分かった気がする。
僕は立場柄、自分より若い人、特に学生と触れ合う機会が多い。その中で、彼ら彼女らに対してなんでそんなに冷めてるのか、どうしてそんなに当事者意識がないのか、と不思議に思うことが多い。
僕自身の世代もゆとりとか悟りとか言われ出した世代でどちらかといえば若めになるのかもしれないが、そこからみてもびっくりするほど温度のない生き方をしている様に見える。
それがいいとか悪いとかではなく、単に「どうしてそうなるの?」と思うことが多かった。”コンビニ人間”で見た景色はその理解に一役買ってくれる気がする(主人公は僕よりも年上の設定ではあるけれど)。但し、あくまで個人的な解釈であることは申し添えておきたい。
一つは、「解釈しきれなかった異物感」だと思う。
この作品には”あちら側”と”こちら側”という言い回しが出てくる。人間を区分けする意味で使われており、個人的解釈では”普通の人”と”そうでない人”を分け、その差分に注目させる役割を持っている。
主人公は小さな頃から周りと違った感覚を持っていることを自覚し、”私は異物だ、みんなと違う様だ”という感覚を持ちながら、30代半ばまで育っている。但し、それに対して「どうしてなんだろう」「なぜうまくいかないんだろう」という正負問わず大きな感情は伴わないで、端的に冷静に分析を続けていく。非常に賢く、分析能力は非常に高いが、結局主人公に対してはっとさせるとか、価値観の変化をもたらす人物は全く出てこない。終始自分の価値観で生き、周りからインプットをもらっても、その世界が強烈に変化したり揺らぐことはない。
主人公以外の登場人物は(それぞれ悪意のある人物ではないが)非常に普通で、どこかしらで見聞きしたことのある一般的な生活を送っている。ずっと次元の違う、噛み合っている様で全く噛み合わない世界で、主人公はそれに平行線を引く様に生きている。見方によっては交わっていないこともないが、交差している様に見えて、全然違う高さを生きている。直接心理的に触れている部分はない。結果、主人公は自分自身で全て自己完結してしまう。劇中の細かいサイクルで見てもそうだし、大きなサイクルで見ても同様である。主人公の持っている異物感に正面から向き合ってくれる人物が誰一人いないので、仕方のない進行・結果だと思う。「どうしてそう思うのか」という台詞を主人公にかけてくれないのだから、仕方がない。
二つ目は、狭い世界での「生」を望んでいる、という点である。
主人公は”コンビニ”という世界で”コンビニ店員”をする上では最高最強の人物である。挨拶もできる、マニュアルを守る、そしてマニュアルの範囲内では臨機応変な対応もできる。よくある”マニュアルにないので出来ません”というところには行き着かないというか、行き着くまでに創意工夫を持って仕事と相対している。そんなにすごいなら実は別のところでも生かせる、といった近年よく見る異世界展開には行き着かない。作者がそれを意図しなかったというよりも、おそらく本人は本当にコンビニの中でしか同様に振る舞えないのだと思う。
主人公は”コンビニ店員”として以外の観点を殆ど持たない。私ももう30半ばだしなぁ、なんて世俗的ことは(周囲の観点を起点として一瞬考えたとしても)心からは感じていない。通勤時は仕事で必要な情報のみを拾い、食事も生きていくのに最低限必要な素材と調理法しか使用しない。
僕も情報社会に生きていて本当にうんざりするし、毎日限りなく疲れるが、彼らは疲れることすら最初から排除している。広い世界と相対した時に自分が一瞬で死を迎えることを本能的に知っている(あるいはそう自己暗示している)のではないだろうか。だから、狭い世界が決まっていて、その中で必要なことだけを拾って生きていくことを選んでいる。必要なこと以外には興味がないし、自分にとって一番強いルールが適用しにくい複雑な状況においてはとにかくその場をやり過ごすことを最優先にする。そうしないと精神が崩壊しまうのかもしれない。少なくともそう思っている。
処理しきれないほどの情報が溢れかえる世界で、人間という立場はそれぞれ日々おかしくなっていると思うし、少なくとも素直に今の世界と向き合った時、そこに適用できる人とそうでない人が発生しているのは間違いない。本能的にフィルターをかけて、ルールの定まった自分の世界で生きていこうとするのはおかしなことではない。けれど、個人が複数存在する以上、社会では必ずマイノリティとマジョリティが発生する。マイノリティは常にマジョリティから何かしらツッコミを受け、それを打ち返すことも受け流すこともできなければ、とにかく直接触れない様にやり過ごしていくしかない。この作品はそういった生き方を割とリアルに抽出しているのではないか、と感じた。
自分がどちらにいるか、という点はわからない。どちらの言い分も感覚も分かる気もするし、分からない気もする。
けれど、少なくとも自分が全く言語化できていなかった部分を活字を通して感じたことで、今後世界に対する見方が少しアップデートされる感じがする。
何より、きっとこれからコンビニに行かないことは難しいだろうし、そこに行くたび何かを思い出してしまうこともきっと避けられない。
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