タイムマシンの効力が意図できない理論
タイムマシンという装置については、ことさら日本ではドラえもんやそのほかSFや漫画のおかげで知らない人は居ないかと思います。では、"タイムマシンでは変えたい過去が変えられない"という理論についてはどうでしょうか。
僕がまだ若くてあまり難しいことを考えていなかったころ、"タイムマシン"というタイトルまんまの映画を観ました。天才的な頭脳を持つ主人公が、不慮の事故で亡くなってしまった恋人の死を受け入れられず、過去に戻ってその事故を回避するためにタイムマシンを開発するという内容のやつです。興味があれば観て頂ければと思うんですが、結論からいうと、主人公は恋人を助けられません。事故自体を防いでもまた別の要因で恋人は亡くなってしまいます。それを先読みしてもう一度行動しても、また別の要因で恋人は亡くなるのです。死因は変えられても、"恋人の死"は回避できない。思い悩む主人公は劇中でとある人物にこう告げられます。
「恋人の死がなければ君はタイムマシンを開発できなかった。タイムマシンを作ってまで"変えたい"と思う過去がなければタイムマシンが存在しないのだから、タイムマシンで恋人の死を回避する事はできない。」
回避できてしまえばタイムマシンの存在が否定される訳ですが、そうなると「タイムマシンが存在しない=恋人の死を回避する手だてはない」という自己矛盾に陥ってしまう訳ですね。
ドラえもんを見て育った僕は子供ながらにとてつもない衝撃を受け、しばらくこのシーンが頭から離れませんでした。タイムマシンを作ることもさることながら、過去を変えようとタイムマシンを使った時点で「変えたい過去がなければタイムマシンを使う事はなかったのだから、変えたい過去は絶対に変えられない」という論理にハマって、目的は達成できない。なんて残念な装置なんだろうと思いました。だからそれ以降、タイムマシンが出てくる物語を見るとちょっと穿った見方をしてしまいます。
ですが、悶々としているうちに、逆に考えると"タイムマシンの製造や使用の根本に関わる部分以外の意図しないこと"については変化させられる余地があるのかも知れない、と思うようになりました。劇中でも恋人の死は回避できないけど、死因は変わります。ひょっとしたらタイムマシンを使うことで、見知らぬ誰かを助けられるかも知れない。インディジョーンズやルパンばりに通行人を幸せにできる可能性がある訳です。もちろん逆に誰かに大きな迷惑がかかることもあるかも知れませんが・・・。
どちらにしても、タイムマシンは大きく何かを変えられるものではなく、過去や未来に意図しない変化をもたらすことができるかもレベルの"ちょっとした"装置である、と考えると、夢はないかも知れないけど人類に相応で、それはそれでいいかも知れないなぁと思っています。基本的には過去と繋がる今を受け入れて、未来と今を繋いで生きていくのがいいのかも知れません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?