他考 実験と学生
職業柄、学生に接することが多い。
実験や実習と指導に立っていて思うのは、専門分野に片足を突っ込んだくらいの学生たちの中で「専門性」に関する土台というか、骨子をよくわかっていない、自分の中で明確にできていない事が多い気がする、特にここ5年くらいは増えている傾向にある気がすること。
自分は学生時代、成績はいい方ではなかったし、当時は感覚的かつ最小限に認識するだけでわかっていなかった事がかなり多かった、何となく単位だけ取ってしまったなぁという反省がある。今も(最近所属が変わって畑違いの分野に関わり始めたのもあるが)毎日「こう思ってたけど全然間違ってたやん」の繰り返しがあり、反省に次ぐ反省である。誠に遺憾ながらたぶん自身のセンスが抜群に悪いのもある。テキストは何回も読み直さないと短い文章の指す意味も分からないし、スッと飲み込めないから基礎はもちろん応用まで理解するのに異常な時間を費やすことも多い。
そんな自分ですら、今の学生の中で危険だなぁと思う層の状況は、それより深刻な気がする。
例えば何かの実験をするとき、その大元にある:
・これから何に関する実験をするのか/明らかにしたいことは何か(何を調べたいのか)
・グラフや波形など、でてきたもの(出力結果)は何で、そこから何がわかるのか
が全く分かっていない。
程度は様々あるけど、ざっくり説明することすら出来ない、本当に何をしているのか分かっていないことも多い。ただマニュアルに沿って作業をしているだけ、そしたら何か出てきたけどこれなぁに?という感じ。
いや、分かっていないだけなら聞いて理解すればいい。更なる問題は、「理解したいと思っていない」ことである。
理系の学部で1-3年次に行う基礎の実験は、大抵結果があらかじめほぼ定まったもの、終着点が明確なものが多い。重力加速度は本当に9.8なのか求めてみましょうとか、アナログ波がデジタル波に変換できることを確かめてみましょうみたいな、"もう調べなくても分かってはいる"ようなことをやるわけである。
新たな発見を期待して行うものではないので意味がない、ワクワクが少ないと感じるのも素直なところかもしれないが、実験をすることで重要なのは「先人が行ったことの追体験」をすることでそのやり方を体得する、やってみることでしか得られない感覚を得ることである。もちろん実験を通して得られる数値や傾向も大事ではあるが、大元はこれに尽きると思う。
「ホンマかいな」という適度に疑ったスタンスで臨めば、得られるものはさらに大きくなる。(スタンスが斜に構えすぎたフォームだと本筋に入る前の物言いが多すぎて全然建設的にならないことはあるけど。)
卒論や修論の研究は、基本的に答えが定まっている内容ではない。「先人たちが頑張った研究の結果を踏まえるとたぶんこうじゃないか/こうなったらいいんだけどどうなんだろう」みたいなことを確かめるために、自分でその手法を考えてやっていかなければならない。そのやり方は様々だが、大抵は過去に行われている実験の手法をヒントにして進めていくわけで、そこには過去脈々と受け継がれてきた型みたいな、使えば便利なエッセンスがたくさん入っている。スポーツでいうところの正しいフォームみたいなもんかなと。(この場合の正しいも色々あってややこしいんだけども。)
過去のやり方なんか嫌だ、新しい方法を探すんだ!という場合も、「じゃあ既にやられている方法にはどんなものがあるのか」が分からないと何が新規性なのか分かるはずもない。いい方法見つけた!と思ったら既に誰かが作った有名な方法だったなんて話になれば時間も労力ももったいないし、何より目的の"新規の方法"を確立することはとても難しくなるだろう。人生の長さなんか知れてるんだし。人間はそのために論文を書いて、人類が総合的に知識を共有して効率よく新しいことにチャレンジできるようにしてるんだと思うんだけど。
入学試験をパスしているんだから、自力があるのは間違いない。たぶん最も深刻なのは「自分を納得させたい」「知らなかったことを知ってやれることを広げたい」と思えない、そういうモチベーションが湧き起こってきにくいことだろうと思う。実験の試問やテストをただパスすることを目的にすると、結局学んだ事がそれぞれ繋がってこない。学問を時限で割って科目をバラバラにしているのは、それひとつで完結するからではなく、分割しないと量が膨大すぎて学習の効果が薄くなるからだと思う。学問同士の接点はたくさんあるし、それを見つけて相互の関係を読み解けばどんどん自分の世界は広がっていく。そうするとできる事が増えていくし、発想も広がる。
モチベーションが出てこない要因は色々あるんだろうけど、結局彼らを悩ませて失望させる情報入力が多すぎることなんじゃないかなぁと思う。YouTubeをひらけば学校に行かずとも自分より若くして成功している人がいる、かたや日本や世界の行末には悲観的な見方と雰囲気が漂う。
大学に行ってるだけではダメ、大企業に入っても安泰はないと言われる。何か人と違うことをしなきゃいけない気はするけど今すぐ思いつく当てもない、何よりここまで過酷ではないにせよそれなりに苦労してきたのに明るい未来が保証されてない、それだけならまだしも何をすればどうなるか誰も教えてくれない、、
みたいな感じなのかなぁ。
多様性の時代とは言われるけど、未だ日本は未成年に対して結構ガチガチにレールを強いている。周りの大人からいろんなことを言われて選んできたのに、結局最後は自分のやりたいことを自分で決めなさい、とか言われる。
ちゃんと自覚があれば(足りるを知って削ぎ落とすべきを削げば)大きな流れに沿って生きていることは悪いことではないと思うけど、無意識に自己に期待している部分をちゃんと認識できないと、「こんなはずじゃなかった」と何かを恨み続けて生きるか、不感・思考停止モードで他人事のように人生を生きることになってしまうんじゃないかなぁと。
とはいえ、それを実験を通して解決するのは結構難しい。気づきを与えるよう工夫は出来ても、芯まで響くのは一つの実験科目だけでは難しいだろうなぁ。
何をどうすればいいやら、と思いつつ、考えさせつつもただの作業にはならない塩梅を探る毎日です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?