腕時計で悩みたくないから高級腕時計一本だけ買ってみた
社会人になると誰もが一度は検討したことがあるであろう「腕時計」。
特に高級腕時計は大人の嗜みやらマナーやらで話題に上がることも多い。
これは去年の話だが、自分は34歳にしてようやく高級腕時計を一本だけ買った。そのときに考えたことと、購入したことでどうなったかについて書きとどめておく。
始まりは10年以上前
最初に高級腕時計について悩んだのは10年以上前の話だ。
自分は大学時代、とあるショーパブで働いていた。そのときのお客様に「時計ほしい?」と聞かれたのだ。
通常、水商売においてはお客様に物品をいただけることは誉れなのだが、当時貧乏すぎたがゆえ、人からモノをいただくことに警戒心が強く「特にほしくない」と答えた。
だが、そのときに「腕時計って高いんだなぁ。自分とは縁がないものだ」という種が植え付けられた。
そこから紆余曲折を経てフリーランスエンジニアとなり、ある程度お金が稼げるようになったあたりでも「腕時計の一本くらい」と考えたが、結果的に買わずに過ごした。
AppleWatchでいいじゃん
よく高級腕時計合戦で「AppleWatchでいい」という終止符を打とうとする人がいる。
自分も一度AppleWatchを買った。運動にも便利だし決済にも便利。
しかし夏場に蒸れて皮膚がかぶれてしまったことで着けるのをやめてしまった。
AppleWatchの便利機能は一日の活動量を見られたり、立ち上がるべきタイミングを通知してくれたりと、つけっぱなしであることが前提であるがゆえに「ときどき着ける」というタイプの生活形式だと「あまり着けない」という結果に陥りがちらしい。
手首の皮膚がかぶれなかったらきっとそのままAppleWatchを着け続けていたかもしれない。
なお、別でダイビングコンピュータと呼ばれるダイビング用の腕時計を着けることもあるが、これは単純にダイビングするときのみ着けているので割愛。
Grand Seikoを買った
本題の高級腕時計だが、去年34歳のタイミングで購入した。
30万円代だった。実物は↓。
見て分かる通り、時計としての機能しかない。
これに30万円支払ったのだ。貧乏時代の食費換算だと30ヶ月以上ご飯が食べられる。
心のどこかで「一本くらい」が常々あったのだが、どうしてもこの金額に足踏みしていた。
「経営者だし…」「貯金も多少あるし…」「もういい年齢だし…」など、とにかく自己正当化するまでの手続きが長く掛かった。
結果的に34歳の誕生日を迎えると同時に、この時計をお迎えすることを決断したのだ。
なぜGrand Seikoか
グランドセイコーを選んだ理由についても書こう。
一言で言えば「汎用性が高く誠実に見えそう」だからだ。
ビジネスシーンでも使えるし、プライベートで着けていても様になる。
高級時計に詳しい知人にはカルティエやIWC、ブライトリングの時計が似合いそうだと言われたが、自分が着けるとチャラさが際立ちそうでやめた。誠実に見られたいのだ。
国内企業を応援する気持ちで買いたかったという想いもある。
実際、この時計を身に着けて外へ出るようになって背筋が伸びたような気持ちになった。
よく身に着けるもので態度も変わるというが、まさしくそうだった。人間は単純な生き物のようだ。
若者に高級時計をおすすめすべきか
よく「上司が時計の一本くらい持っておけと〜」のような話を見るが、自分ならどうだろうか。
100%おすすめしないだろう。誰かに言われて買うような金額ではない。
このあたりはもはや精神論に近いと感じる。
高級時計を持っていると高級時計をみんな身に着けるべきだと感じがちなのは、信仰を他者に求めるカルトと近しい。
結局、自分で決定を下し、それに応じた行動を取った結果、高級腕時計を身に着ける人間になったという以外で高級腕時計を身に着ける意義はない。
自分はこの時計を大事に大事にメンテナンスしながら一生使い続けていこうと思う。