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Xで話題になっていたエンジニア人材育成について考える

まず掲題の話題について自分がツイートした内容がこちら。

元ツイートをたどっていくと、「強いエンジニアになるのって難しすぎない?」という内容から「こう教えていたらパワハラ扱いされた」という流れ
自分も、現場で顧客企業の若手を上長と共に教えていたらコンプライアンス室に通報されたことがあるのでよくわかる。(結局パワハラにあたらないという決着)

最近の教えられる側、強すぎないか?というのが今回の記事の趣旨。

なぜ教えられる側に評価される世の中になったのか

普段、Udemyでもオンライン講座を展開している上に最近ではYouTubeもやっているからわかるが、基本的に「ユーザー側」が評価するのだ。
これはAmazonや楽天を見ていてもわかると思うが、「お金を払ったほうが好き勝手、言っても良い権利を得る」という図式がある。

こればかりはユーザーに価値を届けるという本質を追い求める我々事業者として、当然なことだし甘んじて受け入れなければならない部分であることはわかる。
だが最近はユーザー側が強すぎるのだ。

面白いのが、これが「自分でお金を出して教えてもらっている」か「無料で教わっている or 会社負担でお金が出ている」という立場でまた変わる
わかりやすい例でいうと、会社で包括的に教育資料として使っているUdemy Businessは低評価が付きやすく、個人版Udemyで購入してくれた人は高評価をいただきやすい。そしてYouTubeは一定の再生回数が回ると必ず低評価が1つはつくし、通り魔的な謎コメントを残す人も出てくる。

「無償で与えるとユーザーは上から目線になる」という世界の謎システムの一つだ。
これはいろんなシーンで理解できる人は多いと思う。

では無料で教えなければ、と思うかもしれないが、「入り口は無料」にしておかないとそもそも認知が取りづらいのだ。
そこから「もっと欲しければここから先は有料ですよ」という線引きを作って収益につなげていかなければならない。つまりフリーミアムということだ。

そしてお金を払った場合は確証バイアスが働きやすい
つまり「自分は正しい選択をした」と思いたいのだ。だから自分の所有物(つまり教えてもらう内容)が良い物と評価する形になる。

情報格差は教えられる側の態度で発生する

この内容でここまで多くの人が話し合うのはわりとよくある風景ではあるが、きっとここで「ちゃんと手取り足取り教えてくれないとダメ!」となっている人は何かお辛い過去があったのだろう。
だが、自分は徹底したスタンスとして「導くことはしても、すべてを教えることはしない」を貫く教育とは答えを与えることではなく、人の将来の糧になる経験を生み出すことだと信じているからだ。

そんな風に思っている中で、「知っていることが多い」「知らないことが多い」、つまり情報格差を分け隔てるところはこのときの態度に依るものだと感じる。
自ら進んで発展しようとする意志は自ら集め続ける。そして餌を待ち続けるものは教えられるまでじっとしている。なんなら餌を与えてもらってもそれすら忘れることもある。

教える側である我々は、正直なところ、与え続けられるほど余裕がなかったりする。
だからこそ、与えられた経験をさっさと忘れ、自ら貪欲に食べ物を探す獣になったほうが良いのだ。

すでにみんな、世の中の理不尽さを知っているはずだろう。
理不尽な世の中では強い個体になるしか生き残る術はないのだ。

教師・講師という立場の微妙さ

自分は「教えることで金銭を得ている」立場だ。
ならば「求められることをやるべきだ」という考え方もわかる。相手が答えを欲しがっているなら答えを与えることも一つの在り方だろう。
だがやはりどう考えてもこれはダメだ。

知的生命体として、自ら考えることを放棄した個体を良しとしてはいけない。
長きにわたって生き残れる個体を作ることのほうが本能的に正しいはずだ。

おそらく、これからもこの手の話題は教えることを生業とする限り、たびたび出てくるだろう。
そのたびに今のスタンスを崩さず、「それでもかまわないやつだけ俺から学んでくれ」という強いポジションでいこうと思う。

エンジニアこそ、「生き方」や「姿勢」を大事にするべきなのだ。
人より多く得たいなら人より多く学んで当たり前な世界が普通になればいいのに、と心から思う。

教える側ももうちょい強い権利を与えられたいものだ。

P.S
サムネの絵がふざけているように見えるだろうが、描いた本人はいたって本気である。

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