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道成寺を終えて②

近代の名人として名高い十四世喜多六平太師が道成寺を舞い納めたのは昭和10年、小鼓は大倉流の北村一郎師。
もう、それを観た方はいらっしゃいませんし、どのような申し合わせがなされたのかも伝わっていません。

「佐藤陽の会」のご依頼を頂いたとき、何かの間違いかと思いました。
喜多流のお披キでは、大倉流の小鼓は無いと思っていたからです。

前回、すべてが特注と書いた道成寺ですが、中でも特異なのは乱拍子という舞です。
大倉流の掛ケ声は長いので、喜多流の鋭い型とは合いにくいと聞いていました。

近年、喜多流と大倉流の組み合わせはいくつかあったのですが、いずれもベテラン同士の組み合わせで、お披キで私のようなペーペーと、というのは異例です。
また佐藤さんも私も、子飼いでも家の子でもなく所謂学生上がり、昔風に言えば(今でも?)素人です。
しくじったら
「他所から来た奴らが変なことをして失敗」
とか
「やっぱり慣れない組み合わせはやめておいた方がいいね」
などと言われ、流儀の全体にも迷惑をかけてしまうのではないか、という不安が襲ってきました。

その中で、名人が舞納めに選んだのが大倉流の小鼓だったという事実は、実際に見ても聞いてもいないのに、いや、見ても聞いてもいないからこそ、何か輝かしいものに思えました。

名人の威を借る下手、みたいな話ではありますが
「目指すべきものは確かにあるはずだ、駄目だとしたら自分だけの問題だから、あとはやるだけだ」
と思いきる根拠の一つにはなったようです。
たとえもういらっしゃらなくても、先人は本当に有り難いものです。

十四世喜多六平太師の舞い納めについては
【能劇そぞろ歩き】横道萬里雄著(能楽書林)
で知りました。
『六平太翁の舞い納めの「道成寺」(昭和十年)のおもしろさなど、今も目にありありと残っています』
『小鼓のほうにも好演は少なくなく、たとえば六平太翁のときの北村一郎氏なども緊張した出来でした』

見ても聞いてもいないからこそ、などと書いたけれど、じつに羨ましい。
観たいなぁ。

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