小鼓のお稽古について②
前回の投稿で、エトセトラが元はラテン語だとはじめて知りました。
「小鼓のお稽古とは、実は師の謡の声を聴きに行くこと」と書きましたが、ちょっと補足します。
まれに、歌舞伎が好きで鼓を打ってみたくなったので来ました、という方が見えます。
そのときには、「楽器としての扱い方はお教え出来ますが、音楽性は全然違いますよ」とまずはお話して、あとは常の通り高砂の待謡から体験していただくことにしています。
ピアニストなら、バッハもショパンもブーレーズも、ついでにジャズを弾いてもいい。ピアノからあらゆる音楽にアクセスできます。
でも我々は「能楽小鼓方」であって、優先順位は「能楽」⇒「小鼓」の順です。
つまり、お稽古のテーマはあくまで「能楽」で、ハウツープレイ小鼓ではないということになります。
能の台本であり、音楽の根本である謡の呼吸を通して、師が持っている能に対する見解を聴きとる。
そして、聴いているだけでは触れられない、鼓を打つという形で参加することでしか掴めないものが、やはりあるような気がするのです。
最後に念のため。
能楽師の純潔性を誇っているつもりは全くありません。歌舞伎にたいして含むところもありません。違っているようだ、というだけのことです。
潰しが効かないので、特にこのご時世、先行き不安で困っているくらいなのです。