道成寺を終えて③
親指と人差し指をいっぱいに拡げて、物の寸法を測ったことはありますか?
それぞれの指の長さと、関節と腱の柔軟性次第で、測れる距離は人によって違ってきます。
乱拍子を稽古し始めたとき、それまで習ってきた舞とあまりに違うので、どう取り組んで良いのか分かりませんでした。
それで、師匠の過去の録音を聴きながら、一緒に打って練習してみました。
同じだけの長さ声を掛け、間を取り、打ち込むことが出来れば、少なくとも及第点になるのではないかと考えたのです。
大バカでした。
親指と人差し指を拡げたときのように、師匠には師匠の、私には私の、固有の声と息の寸法があります。
乱拍子を打つことは、その固有の寸法を目いっぱい使って、自分自身を尺度として間を切り取って行くことであって、たとえそれがどんなに優れていても、他者のものを基準としてしまっては何の値打ちもないものです。
ただ、全く無駄だったわけでもありません。
師匠の録音を注意して聴くことで、分かってきたこともあったからです。
一つ打ち込んでから掛け声をかけている長さをaとし、次に打ち込むまでの無音の間の長さをbとします。
乱拍子は、変則といえど舞ですから、進むに連れてノリがついて徐々に間が詰まってきます。
師匠の演奏では、そのaとbの比率が終始一貫していて、ブレが全然ないのです。
なるほど!と思い、声を掛けながら心中でカウントを取ってやってみたのですが、そんなことは到底出来ないことだとすぐ分かりました。
あのテンションの中で、冷静に数なんか数えていられるものではありません。
つまり、寸法が狂いようのない体が出来上がっていて、当たり前にそうなるのだと想像されました。
そして、狙うのではなく自然にそうなるところまで、稽古しなければいけないのだろう、と。