ジムノペディを聴くと思い出すピアノの先生のはなし
5歳から18歳まで同じ教室でピアノを習っていた。
始めたきっかけは思い出せないし、その教室を選んだのはもちろんわたしではない。
決して上手なわけでもなかったけれど、13年間続けられていたのは、Y先生のおかげかもしれない。
毎週30分の個人レッスンと月1回グループレッスンがあった。あまり練習をしなかった時もあって、よく叱られていたし、よく泣いた。そして、本当にいい演奏が出来たときには、うんと褒めてもくれた。
叱られたのは、ピアノのことだけじゃなかった。
考え方とか、生き方とかそういうことも教えてくれた。時に優しく諭してくれたし、とても厳しく叱られた。
高校生の頃には、両親が不仲になっていて、妹たちとも話すことも減り、悩んだり見ないフリをしたりして、学校生活、とりわけ部活だけを生きがいにしていた時も、Y先生はレッスンそっちのけで話を聞いてくれたこともあったっけ。
高校を卒業するタイミングでピアノ教室も卒業することが決まっていたわたしが最後にレッスンしてもらうのに選んだ曲は、エリックサティのジムノペディだった。
無機質で淡々としている楽譜だけど、弾く時の感情によって、穏やかな日差しの差し込むような表情にもなれば、悲しい気持ちにそっと寄り添ってくれる影のような表情にもなったりする曲だと感じて、好きになった。
その曲を選んだときに、
「あなたらしくて良いんじゃない」
と優しく笑ってくれたのだった。
大学生になり、実家に帰るのも年に1回か2回になり、その先生に会うこともなくなった。
その時、会いにいかなかったことを今でも悔やんでいる。
東日本大震災のあった2011年の夏、ピアノ教室で出会い、中学で同じクラスになってから縁が続いている友達とその教室(と先生の家)があった場所を訪ねた。
でも、先生はいなかった。
もう違うひとが住んでいた。
その時2人で顔を見合わせて、しばらく黙ってしまったのだった。やけに暑い日だった。
Y先生の息子さんの名前を知っていた私は、先生がどこにいるのか知りたくて、Facebookで息子さんを探してメッセージを送った。
息子さんも多分覚えてくださっていて、返事をくれた。震災よりもずっと前に、亡くなったということだった。
なんでもっと早く会いにいかなかったのだろう、と後悔しても遅かった。
家族以外であんなに親身になって叱ってくれた唯一のひとだったのに。
ジムノペディを聴くと、優しい記憶と少しの後悔と胸をちくりと刺されるような、色々な感情が渦巻く。
そしてあんなに叱られたことも懐かしくなる。
もうピアノを弾くことはないかもしれないけれど、今でも当時の楽譜を眺めては、先生の走るような字を見て思い出す。
会いたいひとには会いたいときに会うべきだということ。
時々あの夏を思い出しては、会いたいひとに会いにいく。