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【第40弾】憧れとは

前回書いたnote

これの続き、『たむとろ【第25回】憧れ』のアップデートver.である。


憧れ力について

最近、

「たむくんは受け取る力が強いね」

って言われた。

「言葉1つ1つの意味とか背景とか考えるよね」

確かに!例えば、
「学ぶ」と「勉強する」って何が違うんだろう?とか、
今使った「〇〇」って言葉はこういう意味が含まれてる?とか考える(笑)

突っ込む感じとか。
多く、大きく受け取ろうとしてる感じとか。

おおー!確かに―!
これはうれしかったな。
私は「受け取りたい!」って想いが強いらしい。
自分で言うのもなんだけどすごくいいな。

「盗んでやる!」「取ってやる!」みたいな”take”ではなく、
"given"している感じがすごくいい。

その根底に何があるんだろう??


仮説だけど、人(他人)はわからないものという感覚。

私は、人の考えていることや思っていること、人となりがわかるということはないと思っている。
けれど、人の言った言葉の方が私が捉えた言葉より正確にその人の考えに近いと思うから、人を理解しようとするときに人の言葉を聞こうとする。
人の言葉をその人だと思うようにするみたいなこと。
自分では人を決めつけたくないから、その人の言葉を信用する。

それゆえに聞く、聴く、訊く。

"given"すること。
これが今の私の「憧れ力」なのではないかという仮説。


何者かになりたいのか?

私は今も「何者」かになろうとしているのか?

私の行動基準、選択基準がわかったから、それで生きたいと思っている。
急いではない。それでいいやって思った。

大学生だったからってこともあると思う。
働くと急にその感覚がなくなった。

あれだけいろいろやってきたと思っていたけど、
大学生って何者でもなかったんだなあ、としみじみ。


直近やることと直近やりたいことで日常を埋めることで何者かになるのを先送りしている。

たむとろ【第25回】憧れ

われながらいいこと書くな。これはまだあるかも。
仕事っていうわかりやすく「何者」がある。

しかし、私の仕事は「何者」が3年という任期でなくなる。
その恐怖から次のことを考え始めている私がいる。

先送りはしたいけど、そうも言ってられなくて。

まだ何者になろうとしている自分がいる。

だから学んでいる。


憧れちゃったのだ

お盆休みに島根に帰省した。

大学時代一番長く時間を共にした友人と会って、3時間くらいドライブして話していた。

彼の悩みを聞いていて、ふと自分のことを考えた。

ポロっと出てきた一言。

憧れちゃったから、覚悟決まってる(決めた)
けど、理性が止める。

私は今こんな現状なのだと思う。

大学時代にいろんな活動をして、いろんな人と出会って、いろんな価値観を受け取って、いろんな生き方を見た。

その経験は私を憧れさせてしまったのだ。私は憧れちゃったのである。

私も私の生き方をしたい!
社会に敷かれたレールの上を歩きたくない!

けど、

お金って大事だ。
パートナーの有無とか、
家族のこととか、
たくさん考えることが増えた。

大学生だからとか、社会人だからとか、輪切りにされたくないし、したくないのだけど、だけど考えることは増えた。


憧れは、そして強さは、

話は変わるのだけど、私は今コアキナイゼミを受講している。

コアキナイは「役どころをつくる」ために始めた。
だけど、このコミュニティに入ったのは人との出会いからでもあった。

このコミュニティで大切にしていることとして、「居場所」がある。
居場所は、
・よりどころ
・やくどころ
の両方が必要なんだってことにすごく共感した。

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私が前回『たむとろ【第39弾】強さとは』で書いた話は、
”よりどころ”の話なんだと思っている。

一方、今書いているこの『たむとろ【第40弾】憧れとは』で書いた話は、
”やくどころ”の話なんだと思っている。

私は今、阿賀町に来て”よりどころ”が出来たんだ。
今私にとって阿賀町は(というか同僚たちや寮などがかもしれないけど)”よりどころ”になっているんだって感じがする。

そして今、コアキナイゼミで”やくどころ”を作ろうとしている。


どちらも違うことをしているように見えて、コ=「個」にフォーカスしている。私を探求する営みであることに変わりない。

すごく汚い絵と文字で恐縮ですが💦
コアキナイの講師と1on1した時に、ふと書いた図

これまで私は、私の思考や発想を飛ばした先=それは言語化した私なのだが、これが私なのだと思っていた。

でも阿賀町で弱くなった私は、そしてコアキナイのコ=「個」は、
もっと体の近く、体の周り半径数センチくらいのふわふわした何かが私なのではないかと思った。

この言語化できないけど私なのだという感覚を芽生えさせてくれた阿賀町での人たちと、
この感覚をこれから育てるコアキナイというコミュニティの時間。

めっちゃ楽しみだ。

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