【87冊目】私は教育魅力化の仕事には就かないと思っていた
2023-6-22
温泉に行ったら休憩スペースにハンモックがあり、神かよ!って思って読書日記を書いてます。優雅すぎ。
今回読んだ本は『移住と実存』
島根県津和野町で教育魅力化に関わっていた高校生と大人たちの共著である。
一般に出版された本ではなく、同人誌らしい。
出版された当時は情報を見逃していたのだが、先日、上記の本を題材に読書会が行われており、友人の紹介で参加してきた。現在は私も教育魅力化にかかわっていたので、その観点で呼ばれたのだろう。
著者の1人と知り合いだったため、数カ月前に直接連絡して1冊買わせてもらった。
最近
弊社で「学校じゃない教育」を考えるイベントがあった。
ここで私は、
・何のために、何がしたくてハウスマスターになったのか、
・ハウスマスターはどうあるべきなのか?理想はなにか?
・「教育」でないなら何なのか?
そんなことを考え、私も他の登壇者も参加者も悩みに悩み、苦しみ、収束しないままイベントは終わった。現場のリアルをお届けするという意味では100点満点だろうが、コンテンツを提供してお金をもらうという意味ではヤバイ。むしろ払った方がいい(笑)
そんなイベントを経て、この本を再び読んでみることにした。
先日参加した読書会では本の中の、当時高校生だった地域みらい留学生のエッセイ部分のみ読んだので、今回はすべて通して読んだ。
私も高校魅力化に携わる身として、とは言え”寮”という「ただ存在すること」「ただ生徒がいること」のみ評価軸とされる、ある意味”評価”が無用の長物となる場所にいるからこそ、気楽に働けていることを強く実感する。
一方で
高校生の立場になると、「高校魅力化」「教育魅力化」というプロジェクトのために、「教育」と「まち」から”主体性”=”主体的であること”を強要される。
しかし、教育魅力化の取り組みの成功事例である学校では”制度”=「高校魅力化」という枠組み自体が注目され、評価される。
高校生からするとたまったものではない。
高校魅力化を早くから始め、先進的な取り組みとして県外から多くの視察者が訪れる津和野高校では”主体性”が問われ続け(それは「なぜこの高校に来たのか」などである。この質問に限っては外部の人間からでなく、内部の人間=地元民からも聞かれるところだろう)それによって後付け、こじつけの主体性を発揮すること、上手く言う能力ばかりが育って行く。
これが悪いことだとは言わないが、後付けの主体性と内発的主体性はかなり意味が違う。
どれもこれも、”評価”があるからであるように思えて仕方ない。「探求」が陥りやすい罠がここにあるのではないか。
また、「高校生であること」「魅力化の高校生であること」に注目が集まり、本人ではなく”属性”で評価されることも多々あるだろう。
これは高校生に限ったことではなく、「大学1年生なのにすごいね~」「俺が高校生の頃は○○」などである。誰しも1度くらい言われたことも、言ったこともあるかもしれない。
私は
こうした「属性」や一瞬の「評価」を切り取って子どもと接する教育の姿に嫌気がさしてハウスマスターになったのである。
日常的に、連続的に高校生と関わることで、ポートフォリオ的に高校生を見たい、観たい、看たい、視たいと思ったのだ。
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