【86冊目】苦しい
2023-6-9
岡山に帰省していたので、久しぶりに本を読むことができてうれしい田村です。
今回読んだ本は森岡毅さんの『苦しかったときの話をしようか』です。
USJの経営をV字回復させたことで有名な森岡さんが、わが娘たちに宛てて書いた「働くことの本質」のエッセイ。
いや、よかったな。私もこのような話を自分の子どもに、関わる子どもたちに出来るような大人になりたいと思う。
この記事を見返した時用に、本に書かれていたことを抜粋して残しておく。
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→わかっていたことだった。これに苦しむこと、これが難しいということも言えるが、一方でこれが出来れば、というかこれしかすることが無いのだと思うと少し安心する。
→「本質を見抜く」とよく言われるが、平素から現象と構造と本質を使い分けて物を考えられているわけではない。この辺りは意識したほうがいいと思った。
→田村の場合は、T:先天的に持っている。C:後天的に獲得。L:憧れを持って習得しようと思っている。こんな感じだろうか。なのでタイプ診断を受けるとTとCが同じくらいになってしまうし、その時々によってどちらに傾くか変わることが常々。
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本は全6章で構成されていたが、繰り返し繰り返し、「己の特徴の理解・それを磨く努力・環境の選択」が話されていただけだった。
己の特徴の理解
私も一応大学生であるし、就活をしている後輩や友人と話す中で、キャリア選択に対しては思うところがたくさんあった。
マッチングがうまくいかず、入社してから辛い思いをしている友人や知人に対して、「自己分析が足りない」という言葉で片付けるのは簡単だ。
”おかれた場所で咲きなさい”とは言うもので、確かに「働いてみないとわからない」という側面があることは理解する。これまで働いたこともないのだ。当然だろう。しかし、”おかれる場所”はある程度は選んでおく必要があるだろう。花によっては必要な栄養も違う。環境も何が必要か様々だ。この辺りに”おかれれば咲ける”という当たりはつけなければならないわけで、そうなるとやはり自己分析の必要性=本の言葉を借りると「己の特徴の理解」をどれだけ出来るか、ということは重要だ。
それを磨く努力
「やりたいこと」(=will)も「できること」(=can)も認知されていて、かつ実社会において、すなわち資本主義社会において有益なもの以外は語ってはいけない風潮がある気がする。最近のマイテーマである。
また、私はwillがなかなか見つからなくて、あると思えなくて苦しんだことがあった。今思えば己の特徴の理解が足りていなかったのだろう。私はwillよりもcan(=できること)やneed(=求められていること)またはmust(=やらなければならないこと)を大事に働きたいことに気が付いてからは、だいぶ楽になった。
環境の選択
コンフォートゾーンからストレッチゾーンに行くこと。己の特徴を理解し、それを磨く中で、慣れは大敵である。
最近「変化」とか、「学び」みたいなことを意識して生活してない感じがする。コンフォートゾーンに浸かり切ってる感じがするので、ちょっと思い切って選択、挑戦してみたいと思う。
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