はんぺんの唄、ちくわの舞
こんにちは。
このnoteは ゆる音楽学/ゆる民俗学ラジオサポーターコミュニティ アドベントカレンダー企画(10日目)です。
前回のnoteはコチラ。
絶対読んでね!
12月も3分の1が終わりましたね。
あっという間に年末がやってきます。
皆さんは2024年、どんな年にできたでしょうか?
え? 「今年も何も達成せずに終わってしまった」?
ふっ…残念ながら、あなたは同じセリフを去年の年末も言っていたぞ…。
ぼくはそれなりに充実した1年を送ることができたので、締め括りということで、今回はじめてアドベントカレンダー企画に参加しました。
アドベントって、鏡の世界のバトロワでしか聞いたこと無かったよ。
今回参加したいなぁ、と思った経緯は、ゆる音民サポコミュに加入してからいろんな経験ができたからです。
充実した1年を過ごすことができたのは、間違いなくサポコミュのおかげでもあります。
ありがとう!
そんなサポコミュの中で、ぼくがやりたかったことを一つ形にできたので、今回はそのことを振り返っていきます。
ちょいガチを始めたワケ
いつだったか、VC(ボイスチャット)を使って一人ラジオをしたんですね。
テーマは〈マルチスピーシーズ人類学〉というものについて。
「いや、音楽/民俗と関係ないんかい!」と思った人もいたかもしれない。
まぁその辺の気持ちは後半にとっておいて、とにかくそういう一人語りをしたんです。
んで、結構な人数が聞きにきてくれたんですね!
語りは下手で反省も残ったけれど、嬉しかったです。
その後、ひょんなことからモデレーターになったので、イタズラし放題より良い運営のために尽力させていただくことになりました。
でもぼくは、正直Discordの仕組みはよくわかんないし、何らかのコミュニティを運営する能力も無いです。
特に活動したり、発言することもなかったので、権限を与えられてからしばらくは「これやっぱり辞退した方が良いんじゃねぇかなぁ...」と思っていました。
と、同時にあることを感じていました。
このコミュニティには、ぼくと同じように、“語りたい“人がいるな…。
たとえそれが音楽/民俗に関係ないとしても。
もしかしたらぼくが勝手にそう思っているだけかもしれないけどね。
でも、ある確信めいたものは感じていました。
ぼくは「知的好奇心」が抑制されている状況を良しと思わないです。
知りたいな、やってみたいな、という欲求は誰にでもあると思います。
そして、その欲求が適切に解消される機会は万人に与えられるべきだと思っています。
ほんでね、ここにはそういう人いっぱいいるだろうなぁと思ってたんです。
〈ゆる〉を冠した番組とはいえ、専門性の高い知識、そして学問の面白さを伝えてくれる教養チャンネル。
そうなると、結果的に知的好奇心を刺激された人たちが集まるのは明白です。
まして、パーソナリティのお二人の魅力的な立ち居振る舞いを見たならば!
「わたしもやってみたいなぁ...」
と、思うのは必然!!
実際ぼくもそうでした。
そういう感じで、サポコミュに入って数ヶ月はROM専だったのですが、ゆる学徒カフェで黒川店長にお会いした際に「やったらいいじゃん!」と背中を押してもらったのをきっかけに、『マルチスピーシーズ人類学ラジオ(ゆるくない)』というスレを立てて発信してました。
その後個人的にPodcastを始めるきっかけにもなりました。
きっかけをくれた黒川店長には頭が上がらないし、足を向けて寝れないしで、実際カフェに行った時は床に土下寝状態で黒川店長と話してます。
ちなみにほんとです。
ということで、サポコミュに好奇心発散の場を作ろうと思いできたのがちょいガチ音民壁の集いというフォーラムになります。
はじめてモデレーターっぽいことができたね、えらいね(キャッキャッ)。
ちなみに、当初ぼくが想定していた使い方とは全然違う成長と発展の仕方を見せてくれたので、面白かったです。
良い意味だよ!
何より盛り上がってくれるのは一番嬉しいですね。
練り物のような場所
あとは、ちょいガチに期待していることを書いておこうと思います。
それは知識と知識の交流から新たな知識が創発されること。
今もかなり専門性が高い投稿がたくさんされていますが、学問の垣根を超えた「大人の自由研究」が始まったら嬉しいなと思ってます!
ちょっとした勉強会サークルみたいな。
黒川店長も民俗学をテーマにちょいガチなゼミを開いてくれました。
「みんみんゼミ」と言う会だそうです。
余談ですが、みんみんゼミという名前はぼくが付けました。
余談ですけどね。
いや、本当に余談ですよ。
実はぼくがゼミの名付け親です。
余談ですが。
余談っちゃ余談なんですけどね。
余談ばっかりで、油断ならない、やだなぁもぅ。
この知識と知識の混交した状態は練り物みたいだなと思ってます。
はじめは“個“としてあったものが一斉にすり潰され、新しい形へと変わっていく。
...いや、違うよ、タイトルの回収ができなかったワケじゃないよ!
苦し紛れにそれっぽいことを書いたワケじゃありません!
とにかく、そういう場になったら嬉しいなと思いながら、今後もコミュニティ全体の発展をサポートしていけたらと思います!
コンゴトモヨロシク…!
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明日はユタカさんです!
今までのnoteもまだ読んでいない方はぜひ!
以下、ちょいガチ文
ここまで、いたって真剣に思い出を振り返ってきたけど、少しだけちょいガチっぽい話をしようと思います。
たむらがちょいガチしてるのはマルチスピーシーズ人類学というものなんだけど、なぜそれを音民サポコミュで話すのか、について。
言コンでも、生哲でも、天体でもなく、音民であるのには理由があります。
興味のある方は読んでみてね。
まず、ぼくが学生の頃に専門的に取り組んできたのは文化人類学ではありません。
宗教芸術学、宗教現象学をメインに研究していました。
その中で、古典芸術…まだ〇〇教とかが定義される前の、はるか古代の人々の信仰について学びました。
ぼくにとって一番の学びは、古代においては、宗教、政治、芸術が未分化なものであった、と言うこと。
たとえば、何らかの儀式、儀礼をするにあたって、それは宗教的な行いであることはもちろん、政治的な意味合いもあり、何より芸術性も求められたということです。
ぼくはこうした混沌とした状況に惹かれました。
この時代を生きた人たちの生命のエネルギーとは、いったいどれほどのものだったのだろう。
明日生きているかわからないという環境の中で行われる儀礼は、さぞダイナミックで、カオティックで、恐ろしいものだったのかもしれませんね。
さて、マルチスピーシーズ人類学では「絡まり合い」という表現がよく使われます。
人間を含めたあらゆる存在が相互に関係しあい、作用しあいながら、共に世界を創発していくことを指す表現です。
今の地球は人間が幅を利かせすぎているから、より広い視野で多種と共に生きていくためにはどうすべきか、これを考えるのがマルチスピーシーズ人類学のミッションです。
ぼくは「絡まり合い」ってとても混沌としているんだろうな、と思います。
常にあらゆる他者と関係を接続され、その結果自分ごと世界を変容させていく営みが生きるということなんだろうな、と。
この状況は、かつて学んだ先人たちの混沌と似ている気がするのです。
まだ正確に言語化はできないけど、そんな気がする、てレベル。
そして、民俗学は「暮らし」を探究する学問です。
今、ぼくたちはどうやって生きているのかを考え抜く学問です。
手段としてフィールドワークをすることもあるでしょう。
その時、他者へ向ける眼差しには尊敬の念がこもっていないと、本質は見抜けません。
自分ではない誰か/何かがどのように生きているのか、自分はどのように関わっていくのか、そしてどのように共に生きていくのか。
この視点は民俗学にも、人類学にも、マルチスピーシーズ研究にも必要なものです。
だからこそぼくはこのコミュニティで発信する意義と価値があると強く確信しています。
これからも勉強を続けていったら、もしかしたら全然違う答えに辿り着くかもしれないけど。
今は愛と尊敬に満ち溢れたこの学問を、みんなと共有したいなと思います。