見出し画像

農業に一生をささげたじいちゃんとばあちゃんへ

「じゃぁまた帰って来るきんな。(帰ってくるからね)」
「まなみちゃん気ぃつけてなぁ。ほんだらな。(それじゃぁね)」

そう実家の窓越しに話したのが、ばあちゃんとの最後の会話だった。

数え年で88歳。
10月の誕生日を目前に、家族が集まるお盆のタイミングで米寿のお祝いをした時の会話だ。

そのままばあちゃんは、誕生日を迎えることなく天国に行ってしまった。
奇しくも、私が撮った米寿のお祝いの写真は遺影になった。

それが早5年前。


じいちゃんが天国に行ったのは、私が高校生の頃。
もう20年以上前になる。

農業一筋。
寡黙で働き者、そして頑固。病院嫌い。
いかにも昭和初期の男といったじいちゃん。

文句ひとつ言うことなく、
朝から日が暮れるまで、広い山や田んぼ、畑の農作業。

(確実に、台風の夜「田んぼを見に行ってくる」と言い出し、家族に止められる系のじいちゃん。)

夜になるとその日の作業を分厚い日記帳に付ける。

実は私が文房具好きなのは、そんなじいちゃんの姿に憧れたのがきっかけだった。
分厚い日記帳にコツコツを何かを積み上げる姿は、子供ながらにワクワクしたのだ。

そしてそんなじいちゃんの後ろには、いつもばあちゃんがいた。
特に話すことはあまりなく、やることはじいちゃんが決めて、ばあちゃんは従うという感じ。

だから、ばあちゃんは何一つ自分で決められなかった。
レストランに行っても「ばあちゃん、何を頼んだらいいかなぁ?」と聞く。
「好きなもの頼めばいいでしょ。」と言っても、
「◯◯と一緒でえぇわ。」となる。
2択ですら決められなかった。

そんなばあちゃんを見ていて、子供だった私は
「なんでもじいちゃんが決めて…。
 ばあちゃんの意見も聞いてあげればいいのに。」
と感じたものだった。

正直、仲が悪くもないけど良くもない。
そう思っていた。


そんな昭和の男・じいちゃんは、60代後半で突然ガンが見つかった。
病院嫌い&我慢強いじいちゃんのこと。
相当我慢していたんだと思う。

見つかった時には末期だった。
しかも膵臓。

あっという間に入院、手術。
そして看取り時期に入り自宅に帰った。

亡くなる数日前に、点滴の針(プラの留置針)を私が抜いた時
「まなみちゃんは看護師さんやのに下手くそや。」
と言われた。
自分の看護師の娘(私の叔母)ともう区別が付いていなかった。

どうにか回復の道はないのか…。
そんな願い虚しく、病気が見つかって3ヶ月もせず、じいちゃんは天国に行ってしまった。

自分の建てた家で最期を迎えられたじいちゃんは幸せだった?

じいちゃん、あの時私はただの女子高生だったんよ。
私今なら針も刺せるし、痛くなく抜けるようになったよ。
天国で見てますか?


じいちゃんが逝ってしまい、数ヶ月経った後。
ばあちゃんが何かの拍子につぶやいた。

「じいちゃんが死んだときが、人生で一番つらかった。」

そっか。

私に見えてた2人の関係性より、深いところでつながっていたんだな。
ばあちゃんもじいちゃんと居て幸せだったんだな。

何気ない言葉だったけど、私に深く刺さった言葉だった。


それから20年近く。

ばあちゃんは病気ひとつせず、元気に米寿を迎え(実際は誕生日前だったが)じいちゃんの残した家と共に逝ってしまった。

私と最後に会話した、あの窓のある寝室で。
深夜の災害に巻き込まれてのことだった。

私はあまり非科学的なことは信じない。
というか、説明のつかない根拠のないことはやはり信じづらい。

それでも。

ばあちゃんが発見された時。

遠くの仏壇に飾ってあった、
じいちゃんの遺影が寄り添っていたらしい。

そう聞いて…

あぁ。
じいちゃんが迎えに来てくれたんだな。と自然と思えた。
あの2人なら。

そう思う。

たぶん今頃も、天国で2人で農業してると思う。
絶対そう。
じいちゃんが何もしないわけないし、ばあちゃんは絶対じいちゃんと一緒にいるからだ。


つい1ヶ月前。
私は実家に帰って、2,000枚を超えるフィルム写真の整理をした。

正直、両親との関係性は良くない私だが、生まれた頃からの写真を振り返るにつけて考えることはたくさんあった。

初めての桃の節句、じいちゃんと

あの寡黙に見えたじいちゃんが私を抱っこして、満面の笑みを浮かべていたこと。

ばあちゃんと地元の運動会にて

逆に若い頃のばあちゃんは意外と無表情だったこと。


今でこそ喧嘩の絶えない両親だが、生まれた私を囲んでいる姿。
お祝いに駆けつけてくれたたくさんの人たち。

そして弟達が生まれ、私もお姉ちゃんになった。
忘れてはいけない私の人生がそこにあった。

どう関係性が悪かろうと、
じいちゃんとばあちゃん、そして父と母がいたから私がここにいる。

そんな歴史を目の当たりにしたから、敬老の日にかこつけてこんな文章を書いてみた。

今まで家族のことはあまり話したくないテーマだった。
関係性が悪いなんて、恥であり隠すべきことだと思っていたからだ。

ただ、1人で抱え込むだけでは気づけないこともあると実感した。
拒絶することは簡単だ。
それでも少し歩み寄る努力をしよう。そう思ったのだ。

農業一筋で私たちを育ててくれた、
じいちゃんとばあちゃんのためにも。


あとがき

これは、仕事をするつもりで立ち寄ったカフェで、突然書き始めた文章です。

構成も何もあったものではなく、しかもちょっと泣きながら書いたから、死ぬほど不審者でした。笑

でも家族の関係性については、色々考えるところがあり、自分の思考の整理のためにもここで書いていこうと思います。

ブログではちょっと重い話になるかな、と思うのでnoteで。
ちょっといつもと違うテイストでの文章になるかなって思います。

ご意見でもご感想でも、お待ちしております。

たむたむ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?