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アフリカ人夫と離婚までの道のり#2
夫の日本での生活と私たちの歩み
夫は学校に通う機会がなかったため、公用語であるフランス語の読み書きがまったくできませんでした。
アフリカではそれでも生活できましたが、日本で暮らすためには読み書きが必須です。そのため、まずは自分の氏名を書くことから学習をスタートしました。
しかし、当時の私は生活のために非常に厳しい仕事をしており、常に疲れ果てていました。せっかく日本に来た夫との新婚生活も、理想とはほど遠く、優しさや思いやりに欠ける夫にがっかりすることが多く、喧嘩ばかりしていました。アフリカでは男尊女卑が当たり前で、妻は我慢するものとされていましたが、私は日本で生まれ育ったため「そんなの関係ない!」と思っていました。お互いにストレスを抱え、本当にしんどい日々でした。
それでも、私は夫を日本に呼んだ責任を感じていましたし、「いつかは良くなる」と信じて、二人で耐え抜いていました。
結婚を続けるしかなかった理由
私たちには、どうしても結婚を続けなければならない事情がありました。それは、アフリカにいる夫の家族を養う必要があったからです。
夫と結婚して日本へ呼び寄せたい女性は他にも多く、その中には裕福な人もいました。しかし、夫は「君を選んだ」と何度も言っていました。それもあって、私は責任を感じていました。
夫は長男で、母親の再婚相手である義父はいるものの、生活費の大部分は夫が負担していました。母親や兄弟のために、夫は日本に来る前から海外にいる親戚の援助や音楽の仕事、そして私の送金で生計を立てていました。
夫の日本での仕事と夢
日本に来た当初、夫は個人事業の農家でアルバイトを始めましたが、本職はミュージシャンです。「日本で成功してやる!」という夢と希望を持って来日し、私もその夢を応援したいと思っていました。
しかし、私は夫に音楽の仕事の機会をうまく作ってあげることができず、常に申し訳なさを感じていました。そして夫も、音楽活動を支援できない私に不満を抱いていました。
それでも私は「とにかく国への送金ができればいい。二人で一緒にいられるだけでありがたい」と前向きに考えていました。もっとお金を稼がなければと、夫を連れて農業の季節労働を転々としながらも、2020年1月(来日13カ月後)には1回目のアフリカ里帰りを達成できました。私は順調だと思っていました。
すれ違う想い
しかし、人によって「満足の基準」は違います。私は「生活が安定してきた」と思っていましたが、夫は「日本で音楽の仕事が思うようにいかない」ことに焦りや不満を募らせていました。