アーティストは歌が上手くないといけないというウソ。
こんにちは!たむらゆうきです。
僕は新潟で農業をしていますが、その中でも特に僕の地域ではネギの栽培に力を入れています。「やわはだネギ」という名前で、その名の通り柔らかな肌のような食感と心地よい甘みがのったブランド野菜です。
さて、新潟ではやわはだネギに加えてもう一つネギと言えば有名なものがあります。
そう、Negiccoです。
新潟県内在住の方ならほとんどの方がご存知だと思いますし、県外在住の方はこのCMで一度は目にしたことがあるかと思います。
もともとNegiccoはやわはだネギのPRのために2003年に結成されたグループで、ご当地アイドルのパイオニアでありレジェンド的な存在です。
さらにさらにメンバー全員が既婚、出産をしながらも活動を続けるというアイドル業界の常識を覆すようなスーパーグループで、まだまだ新潟を大きく盛り上げていくことは間違いないでしょう。(アイドル業界を大きく変えてくれることも期待しています。)
そんなNegiccoですが、実はアイドルとは思えないほどの音楽性の高さで支持を得ています。ひとつひとつの楽曲のクオリティが非常に高く、それは楽曲プロデュースの方々を見るとそうそうたるメンバーばかり。
田島貴男(オリジナル・ラブ)、堀込高樹(KIRINJI)、さとうもか、ウワノソラ、さかいゆう、一十三十一、、、、
などなどネオシティポップや渋谷系などの界隈では非常に有名な方々がアイドルに楽曲提供するという今までにないアイドルのカタチを表現しています。(もはやアーティストと表現した方がふさわしいでしょう。)
実際に僕がNegiccoをよく聞くになったきっかけのアルバムがこちら。
このアルバムのプロデュースを僕が好きなLampというアーティストの方がされており、「NegiccoとLampがなんで繋がってるの!??っていうか楽曲の雰囲気がアイドルとは思えない!!!」
と衝撃を受けたのを今でも覚えています。Negiccoをただのアイドルだと思っていた僕にとって、ここまでクールで切なくてオシャレな曲があるのかということにとても驚きました。
さてさて、そこからNegiccoにハマり車の中でもNegiccoが流れ始めたある秋のこと。僕はあることに気がつきました。
「Negiccoって正直言って歌がめちゃくちゃ上手なわけじゃないよなぁ。でもなんでこんなに惹かれるものがあるんだろう?」
ぜひNegiccoを聞いてほしいのですが、決して彼女らは歌が上手なわけではないのです。(大変失礼なことを申しているのは承知の上です、、、)彼女らよりも歌が上手な人は一般の方でもゴロゴロいます。
それでも僕はNegiccoを聞いているのです。気がついたら車窓から流れるオレンジにのせて彼女らの歌声が聞こえてくるのです。
この瞬間、僕は「アーティストって歌が上手くなくてもいいんだ」という結論にたどり着いたのです。
僕がNegiccoを聴く理由
一般的に、アーティストになるにはそれなりに一般の人よりも秀でた歌唱力が必要であるというのが常識だと思います。僕もNegiccoを聴くまではそうおもっていました。
ですが、よくよく考えてみるとアーティストでありながらそこまで歌が上手ではない人は意外に有名な方でもいらっしゃいます。
その中の筆頭が、松任谷由実(ユーミン)さんです。
これはユーミンさんご本人も「自分は歌が上手くない」とおっしゃっていて、結婚を機にプロデューサーに専念しようということも考えていたみたいです。
松任谷由実さんはご自身も歌が上手くはないと言いながらも、数々のヒット曲を持ち、たくさんの人を幸せを届けています。
このNegiccoとユーミンさんを聴いていて僕が一つ重要だと思っているのが、
歌が上手くないからいいんだ、そのゆらぎや繊細さに魅力が宿る。
ということ。
これは実際に聴いてみてほしいのですが、ユーミンさんとハイ・ファイ・セットが同じ曲を歌ったものです。
正直に言えば、僕はユーミンさんの方が好みで失恋の切なさを見事に表現しています。上手に歌い上げているのはハイ・ファイ・セットの方ですが、僕がよく聴くのはユーミンさんの方なのです。
そう、アーティストに本当に求められているのは歌の上手さではなく、、、
”世界観”だと思うのです。
世界観というものが一番の根本に存在し、その雰囲気を作るために歌が上手いかそうではないかが決まる。
そう、あくまで歌の上手さは手段であり、”世界観”が最も重要なパーツであると思うのです。
僕がNegiccoを聴いているのも、楽曲から伝わってくる世界観や雰囲気が僕の好みにドンピシャだから歌が上手ではなくても鬼リピするわけです。
雨降りの万代橋と水たまりに反射するオレンジの街灯
日本海に沈む夕陽とオレンジに染まる街並み
大切なあの人と歩いた、バス停からの帰り道
Negiccoを聴いていると、なにげない日々がたくさんの大切な思い出が輝いて浮かんでくるのです。
思い出はモノクロームと大瀧詠一は言いましたが、その思い出に色をつけるのはいつもそばにいてくれたあの人であり、Negiccoであるのです。
彼女らは歌が上手いとは言えないかもしれないけれど、その世界観づくりはとっても上手で、歌が上手くないからこそ僕の心にまで歌声が響いています。
その世界観こそが僕の感情を動かす、つまり”感動”が生まれる。感動が生まれるからこそ、僕のような隠れた熱烈なファンができていくんじゃないかと。
僕は農家として野菜を育ててはお客様のもとへ届けています。
僕の野菜がお客様のモノクロームに色をつけ、毎日の何気ない日常を彩るような農家になれたのなら。
Negiccoは僕にそんな目標も授けてくれました。
いつかNegiccoの皆様とお会いできればいいなぁ、と隠れNegiccoファンの願いを最後にそえて今日の記事をしめさせていただきます。