
20年前に亡くなったひいおばあちゃんが漬けた梅干しが見つかった。
ある日、僕はいつも通り畑仕事をしにおばあちゃんの家に行きました。午前8時前、梅雨が明けたはずなのにジメっとした空気の残るちょっと嫌な朝でした。
「おはよーございます」
おばあちゃんの家に入る時はいつも威勢のいい声であいさつをして入るのですが、その日はジメっとした天候のせいで若干ウツ気味。
それでもまぁいつも通り、僕は畑に行く前におばあちゃんの家によってお茶を飲みながら軽く世間話をしました。20代と70代では話題がかみ合わない時もありますが、畑のこと、家族のこと、いろんなことをよく話します。
おばあちゃんと話していてもなんだかテンションがあがらない僕ですが、その日おばあちゃんの部屋には見慣れない”ツボ”が置いてありました。
僕「このツボみたいなやつは何??」
祖母「あぁ、そればあちゃんが漬けた梅干しだよ」
僕「ばあちゃんって、、、どこのばぁちゃん??」
祖母「死んだばあちゃんだよ。私の母親さ。」
僕「死んだばあちゃんって、もう20年も前じゃないか!?!?!?」
その瞬間に僕の若干低めのテンションは一気にぶち上がりまくり。
古いものや時代を感じるものが好きな僕はとにかく興奮しました。
写真でしかわからないひいおばあちゃん、
20年も前に亡くなったひいおばあちゃん、
僕が生まれた翌日に亡くなったひいおばあちゃん、
今は亡き人と、繋がれたような気がして。
僕は写真と家族から聞いた話でしかひいおばあちゃんを知りませんが、それでもなんだかひいおばあちゃんを知ることができたような気がして。
ブログなのに、なんだか言葉にできない。言葉にできない嬉しさ、温かさ、優しさが胸の奥からこみ上げてくるような感覚です。
まさかこんなカタチでひいおばあちゃんと繋がることができるなんて、思いもしませんでした。
漬物はタイムマシン
「っていうか20年も前の梅干しなんて食べれるのか??」
そう思った方も多いと思います。僕もまったく同じことを思いおばあちゃんに食べれるのかと聞きました。
「食えるこっさ!!」
新潟弁で「食べられるよ」という意味です。たしかに嫌な臭いはしないし、むしろ梅とシソの香りがほんのり漂ってきます。
ツボの奥の方までほじくってみても一切腐っている様子がなく、なんだか最高にうまい梅干し感をかもしだしていました。
「一つ食ってみなせや」
新潟弁で「一つ食ってみろ」という意味です。孫に毒見をさせる気なのか?と内心思いつつ、僕は恐る恐るかじったんです。気になるお味は、、、
うまい!!!
20年っていう時はすごいですね。酸味塩味旨味が混じりあって、なんなら香りは今まで食べた梅干しの中で一番。
20年もたつとダメなのかなぁなんて思っていましたがまったくそんなことはない!むしろ時間の作用でどこまでもおいしい梅干しに仕上がっていました。
もしかしたら「20年漬けた梅干し」っていう言葉がおいしく感じさせるのかもしれませんが笑。それでもおいしいものはおいしい。
そして梅干しのおいしさに浸っていた間、僕はあることに気がつきました。
漬物はタイムマシンだ。
何年、何十年、それどころか自分がこの世界からいなくなったとしても、時を越えて誰かに喜んでもらえる、誰かの役に立てる。
漬物にはそんな時間を越えた”何か”があって、時間を越えて漬ける人の思いが宿り続けるような気がして。それはまるでタイムマシンのように。
20数年前のあの日、ひいおばあちゃんは何を思いながらつけたのだろうか。誰のことを思いながら漬けたのだろうか。まさか、ひ孫が食べる事になるなんて思いをしなかったんじゃないかな。
でも、時を越えてその梅干しは僕のところへやってきた。ドラえもん顔負けのタイムマシンだ。
”未来からの時間感覚”
ふとこんな言葉も思い浮かぶ。時間は過去から未来へ向かって流れているのではなく、未来から時間がやってくるんだと。
過去に漬けられた梅干しが、未来からやってきた。
今回の梅干しの一件はそんな捉え方もできるのかな。考えれば考えるほど頭がこんがらがるけど、とにかく漬物はタイムマシンなんだ。
僕は何を残せるだろうか
そんなひいおばあちゃんが漬けた梅干しを食べて、僕は何をタイムマシンにのせられるのかなと考えていた。
「おれがこの道具を大切にしていたら、いつか誰かが使ってくれるかな」
「この田畑を守っていくことで、これからも安心して食べ物を享受できるのかな」
「この文化を繋いでいくことで、だれかが救われるのかな」
まだ21歳のくせに、そんなことを考えてしまう。ちょっとキザな気もするけど、僕はそういう人なのだ。
でもやっぱりこれを考えることは、伝統文化が崩壊しつつある日本においてすっごく大切なことだとも思う。
コメ離れ、お寺離れ、神社離れ、、、先人たちがタイムマシンに乗っけてくれたいろんな日本文化が廃れているのが現状で。70代の祖母と一緒にいるとなおさらそれを感じる。
味噌も、海苔も、梅干しもみんな消費量が減っているっていう話を聞いたこともある。先人たちが大切にしてきた日本の伝統食であるはずなのに。
お米もお寺も神社も味噌も海苔も梅干しも、なくなったら僕は悲しい。
みんな僕が大好きなものだから。これを読んでくれるあなたも大好きだと思う。
そしてこれから生まれてくる人達も、絶対にこの伝統文化が好きなはずなんだ。心が救われる人がたくさんいるはずなんだ。
実はそんなことを考えながら、農作業をしている。
ひいおばあちゃんの梅干しは、ただおいしいだけじゃなくて、とっても大切なことを教えてくれた。
時間を越えた、ひいおばあちゃんからのアドバイス。