見出し画像

『鬼滅の刃』から見る“正義と悪”

現在多くの世代から愛される『鬼滅の刃』。その魅力のひとつに、”正義と悪”の絶妙なバランスをとった、キャラクター設定にあるのではないでしょうか。今回は、『鬼滅の刃』を通して考えた、”正義と悪”についてゆるく書いてみようかなと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そもそも私は漫画やアニメに疎い人間で、それに加えてホラー映画やグロテスクな画は大の苦手。『鬼滅の刃』への、はじめの一歩はかなり重かったです、、ですが、さすがヒット作品!そんな私のマイナスイメージに負けない、ストーリー性!やられました、、

そのストーリーの中でも印象的だったのが、悪者であるはずの鬼をかなりの時間をかけて描写していること。これはいわゆるヒーロー物語という分野において、あたらしい描き方なのではないかなと感じました。

というのも、私が作品のざっくりとしたストーリーを聞いた時に思ったのが、「桃太郎のオマージュ?現代版?だとすれば、鬼が一方的に悪者扱いされるのであれば、見ないぞ!!」だったからです。

日本人なら誰もが知る、『桃太郎』の物語。物語の主人公である桃太郎が、人間の土地を荒らしていく鬼を退治し、金銀財宝を持ち帰ってめでたしめでたし、、というものですよね。しかし一方で、鬼の目線から考えてみるとどうでしょう。ある日、人間たちがもともと自分たちの住んでいた土地で暮らしはじめた。体が大きく、人間たちと少し容姿が異なったので、人間のコミュニティになじむことができなかった。そこで鬼たちは、鬼が島という小さな島で、仲間たちと新たな暮らしをはじめた。そんな幸せな再スタートをきった矢先、桃太郎という少年がやってきて、鬼は皆殺し。挙句の果てに、財産もすべて奪われてしまい、めでたしめでたし。いやどう考えても、めでたくないエンディングなんですよね。

実際『桃太郎』は、かつての蝦夷地の人々と日本人との確執がもとになっているようです。『桃太郎』に関しては諸説ありますし、詳しい所はわかっていないみたいですが、鬼というのは当時の蝦夷の人々(ロシア人かな)とみて間違いないそう。私は素人なので、多くは語れませんが、蝦夷の人々に対する残虐な歴史を聞くと、時代は違えど同じ日本人として恥ずかしく思います。

そんな『桃太郎』の偏った”正義と悪”のイメージが強かったからこそ、『鬼滅の刃』の鬼の描き方には、圧巻でした!(そもそも、『桃太郎』とは時代も違えば、ストーリーも全く違っていたのですが(笑))

『桃太郎』の話から学ぶことがあるとすれば、自分が完璧な”正義”の主人公だ!と思い込んでしまうことは、危険だということです。もちろん人生という物語において、自分は主人公であるべきだし、自分を持つことは大事なことです。ですが、異なる思想やアイデンティティを持つ他者に対して、真っ向から「それは間違いだー!」と決めつけてしまうのには、気を付けたいものです。

この他者を受け入れるというスタンスは、多様化した現代においてかなり浸透してきたのではないかと思います。女性の社会進出やジェンダーの多様性などに対して、オープンな世の中になってきた。そんな社会では、むしろ、このオープンな価値観を持っていない人の方が、人権が無くなってきているように思います。

今回『鬼滅の刃』を見て、サブカルチャーの世界においても、社会的固定観念の変化の影響を受けるんだなと思いました。それは、社会の流れに逆らわないように注意をして作者が物語を描いたのかもしれないし、現代を生きる作者が意図せず描いたのかもしれない。もしくは、そんな社会のムードを後押しする意味合いがあったのかもしれない。どんな理由であれ、『鬼滅の刃』のヒットの理由には、この時代のホットな社会通念にピッタリ沿っていたことが、一つあげられると思いました。

”他者へのシンパシー”ってつまり、自分の考えやアイデンティティを一旦横において、とりあえずその人の話をじっくり聞いて、一度まるっとその人を受け入れることだと思うんです。作中では、慈悲なく人を喰らう鬼の残忍さを描く一方で、望んでいないにも関わらず鬼になってしまった悲しい経緯、鬼として生きてくことの苦しさなんかも描かれています。この後者の描写があることで、鬼へのシンパシーを感じることなくして、作品をみることができないんですよね。こんな風になかなか難しい、”他者へのシンパシー”が作品を通して経験できるっていいなぁと思いました。サブカルチャーのいい所って、自分にはなかった着眼点を、作品を享受する中で、楽しみながらINPUTできる所だと思うんですよね。だから、『鬼滅の刃』を通して、「そうか、絶対的な悪者なはずの鬼にも、いろいろあるのか。」と知ることで、現実世界でも他者との関わり方に優しさが生まれた人は少なくないのではないかと思います。

だからこそ、小学生くらいのキッズにぜひみてほしい作品だと思いました。かなり画がグロテスクですが、作品を通して、他の子や自分の知らない世界に、オープンな心で接することができる子になるんじゃないかと思うからです。学校という場所で、はじめて多種多様な人と出逢いながら、人間形成をしていく大事な時だからこそ見てほしい!余談ですが、子供を守りすぎるのも、その子の極端に狭めてしまうと思うんです。グロテスクなものだから、教育に悪いというのは考え物ですね。そこにも、親という偏ったものさしが生み出す、”他者へのシンパシー”の欠如があるように感じます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こんな感じで、『鬼滅の刃』のヒットの理由として、”正義と悪”のバランスの素晴らしさがあげられるかなと思いました。現代人の社会的スタンスを絶妙にキャッチしている作品。アニメや漫画にあまり馴染みのない人も虜になってしまうはずです。

こんな時期だからこそ、何が正義、誰が悪いとかいうジャッジ呪縛から離れる必要がある気がします。外出自粛にきっちり従っている人にとって、気にせず外出している人の存在を、ニュースなどで目にすると、「わたしは我慢してるのにーーー!」とイライラしてしまいますよね(笑) でももともとインドア派の人と、アウトドア派の人でも我慢レベルがかなり違うし、外出している人ももしかしたらやむを得ない事情かもしれない。とにかく今は自分は自分で、必要以上に他者を非難することなく、まあそういう人もいるよねという精神で乗り切るしかない!難しいですが、オープンマインドで共に頑張りましょう~

以上、たんぽぽでした!




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?