ハービー、ケンナとグルスキー
医療系の研究施設で働いている。僕は短期転勤族だ。今の事業所は11ヶ所目。写真を撮ることが好きだから異動願を出し続けている。故に魅力的でない勤務地の場合は、過去に何度も拒否をしてきた。そのためか田舎で暮らすことが多かったが、今の拠点は割かし都会だったりする。
正直に言うと暮らしにくい。だがしかし、きっとここも住めば都だ。いいところに目を向ければ魅力的にも見える。スーパーは多いから、毎日の料理は楽しい。久しぶりに専門店で買う楽しさにも再開した。肉は肉屋で。魚は魚屋で。ものはいいし低価格。種類も豊富だ。これは都会暮らしの特権と言ってもいいだろう。
車で移動すると渋滞にうんざりするが、そこは電車移動に変えればいい。歩いたり荷物を持ったり、休憩するだけでもお金はかかるが、それに見合うだけの土地ではある。
なにより写真展に行けるのがいい。田舎では地元の写真クラブの展覧会ぐらいしか目に入らない。ときおり地方の美術館へ足を運ぶくらいが関の山だ。そこへいくと都会は写真展が目白押し。有名な写真家さんの展覧会も気軽に見に行けてしまうのだ。
僕の好きな写真家さんは3人いる。ハービー山口さんと、マイケルケンナさん。そしてアンドレアス・グルスキーさんだ。
ハービー山口さんはポートレイトとスナップを得意とする写真家さんだ。僕の撮影スタイルとは真逆であろう。けれども惹かれる。被写体人物の表情がすばらしい。もちろんそうも思うけれども、それに加えて構図が好きなのだ。好きと言うか凄さに圧倒されてしまう。精度がめちゃくちゃに高い。一度だけ写真展に行ったのだが、そのときに出会った写真がそうだった。
表情がいい。紙の質感も最高だ。けれども構図の気持ちよさが半端なかった。被写体の視線すらも見えるほどに配置されている。それをスナップ的に撮っているとしたら、それはもう神業と思えた。
マイケルケンナさんも、その写真展に行ってみたい作家さんの1人だ。北海道の写真も多く、参考にさせてもらった。正確に言うと、参考には出来なかった。シンプルな構図だからと真似をしてみたのだが、全然真似できない。あのグラデーションをも的確にバランスされた写真は、凡人には再現不可能なのである。
アンドレアス・グルスキーさんの写真も好きだ。考える種を多くもらえる。有名なのは高額で売れた写真であろう。その理由も僕なりに考察済みだ。表現の自由がそこにある。写真が素晴らしいのはもちろんだが、その思想もリスペクトしたいのだ。
僕は『僕の思う最高の1枚』を目指して写真を続けている。この3人の写真家には強く影響された。部分的だが真似ている部分もあると思う。限りなくゴールに近いからだ。だが、近いだけで同じではない。そう思うことが出来て安心した。まだまだ写真は続けられそうだからだ。
そんな想いのままに撮った写真は、僕のお気に入りの1枚となった。ひとつは川の写真。空は高速道路で覆われている。けれども美しい。被写体の究極とも思えた。
もう1枚は高架橋の下の写真だ。工事中のためフェンス横には土嚢が積んである。陽の光が弱いためグラデーションも生まれた。わけのわからん写真かも知れんが、僕にとっては大自然を収めた写真と変わらない。淡い秩序で凸凹な部分を狙った。その写真を見たときの僕は、そう感じるのである。
やはり写真はおもしろい。憧れてる写真家さんの個展を見れただけでも、都会で暮らし始めた甲斐はあった。けれども僕は田舎暮らしの方が好きだ。写真を創るにも有利だろう。そう考えると、これからの人生、僕は一体どこに住めばいいのだろうか。そんな問いも生まれたのである。