冥土のみやげ
コロナ禍中に父は亡くなった。余命宣告の6ヶ月よりも少しだけ長生きした結果だ。享年平均寿命。あまり悲しくなかったのは、やりたいことを一通りやり終えた父だったからだと思う。予定調和を好むため、定年から晩年までをスケジューリングしていたようだが、概ねその動線から外れることはなかった。最後まで好んだ予定調和に裏切られなかった父だから、僕も悲しくなかったのかもしれない。
父は団塊の世代の人だ。平日は職場との往復。夜はテレビを観ながら酒を飲む。休日の過ごし方も基本は家で、録画されたテレビを見続ける。そんな暮らし方を、良いとは思わないが、悪いとも思わない。きっと僕もその世代なら同じことをしていただろう。
すこし父が周りと違ったのは、定年後のスケジュールを会社員時代からデザインしていたことだと思う。趣味を見つけて、現役時代ではできなかったことをやる。そう言って、50代の半ばから体験アクティブィティに挑戦していた。そのためか、60歳の定年を迎えても、過度に落ち着くことなく、趣味や旅行で忙しそうだった。
そんな父の定年後ライフを遠くから見守っていたが、一度だけ口を出したことがある。聞いてもいないのに、何度も海外旅行へ行けない理由を口にするからだ。おそらく自身に言い聞かせていたのだろう。年齢のせいにしていたが、それがすべてではない気がした。僕は軽く背中を押しておいた。とりあえずのパスポート取得を促したのである。すると翌年から海外旅行へ行くようになっていた。
僕の功績かは分からないが、曰くパスポート取得のコストを回収したいらしい。それを言い訳に海外旅行がはじまったわけだ。お金は現役時代に溜めこんだもの。ミーハーな旅行先が多かったが、数年後には行きたかった場所は行き尽くしたらしく、また趣味と国内旅行に明け暮れていた。
本当は別の箇所にも口を挟みたかった。父の行動はすべてが消費的だったからだ。僕のライフワークは創造系のものが多い。もちろん消費系のコンテンツも好きだが、創造系のものと比べると、僕の中での満足度は低い。週末の撮影旅行より、日々の暮らしの中での撮影。転職移住の原動力になったのもそれだった。
そのことを父に伝えたかったが、それは野暮であろう。いや、野暮ではない。価値観の押しつけだ。仮に、「消費的<創造的」な構図が父の中で成立する可能性があってもだ。父は前を向いて進んでいた。おそらく、その過程も楽しんでいたのであろう。結果はおまけみたいなものだ。いい方は悪いが冥土のみやげになったであろう。それは海外旅行へ行ったことではなく、行こうとして実際に実行したことだと思う。
僕は僕の過去の決断に誇りを持っている。きっとそれはいい冥土のみやげになるだろう。けれども、それらは余裕のある時間の中で生まれたものだ。父のそれとは異なる。果たして僕は残りの時間が少なくなったときに、父のように冥土のみやげになるような決断をできるのだろうか。とりあえず、そのときが訪れたら、父の決断を思い出してみようと思う。