株とアンドと原木きのこ

十勝の田舎町で暮らしている。僕はきのこ農家だ。経営はあまり上手くはいっていない。故にいろいろと試した。夏はイベントにも参加したのである。

僕のブースは盛況だった。目的は認知向上であったが、そこそこの売上げも出せた。会を重ねるうちにリピートしてくれるお客さんも増えて、イベント出店に関しては成功だったと思う。その中ではおもしろい出来事もあった。

『ここの椎茸は美味しいから買ったほうがいいよ〜』。お客さんがお客さんにセールスをはじめたのである。お客さん同士に面識はない。とはいえ、変な空気も無かった。お互いが楽しそうだ。僕はそのやり取りを真横で見守る。結局、どちらのお客さんも買ってくれたのであった。

こんなやりとりは複数回あった。もちろんだが、僕からお客さんにセールスの代行をお願いしたわけではない。お客さんの自発的な行動であった。目的は何であろう。結果から見れば僕の商品の価値は上がっていた。評価する人が増えたからだ。これは通貨と同じである。その価値を認める人が増えれば、それだけ価値は上がる。『共同幻想』というものだ。そう考えれば、セールスを代行してくれたお客さんにも利益があったのかもしれない。

これは僕の望んでいたことであった。僕の商品を軸に、緩い文化圏を作る。その範囲は生産者としての僕とお客さんだけに留まらない。林業に携わる者と、飲食に関わる者。その協力者や応援者。里山問題に取組む者や、和食文化を維持発展させる者も含まれる。もちろん、僕の取組む『生産技術の次世代への受け渡し』に協力する者と応援する者もだ。そんな僕らが集まれる文化圏の一端を垣間見たと思えたのである。

当農園は原木椎茸文化圏に関わる人々の輪を大切にしていきます。原木椎茸文化圏とは、林業者様から小売、飲食店様までのサプライチェーンに加えて、地元自治体および消費者である皆様までを含んだ文化圏を称します。

当農園のロゴは井桁積みにした原木をモチーフに、「原木椎茸文化圏の輪」をイメージしたものとなっております。この輪を元に、十勝の原木椎茸文化が次世代へと繋がるよう心から願っております。

SAHORO SHIITAKE

上記は公式サイトの最下部に記載している農園の理念だ。最終的なブランドを立ち上げる際に言語化した。それからおよそ1年半。僕の作りたかった文化圏は、やっとその一端が可視化されたのである。

いまだから言えることだが、この文化圏構想はNFTの失敗を糧に作成した。いわゆる『トークンエコノミー』という考え方を取り入れたわけだ。林業、農業、飲食、それぞれが抱える課題を僕の商品を軸に関わり合い、文化圏を創生。関係人口を増やし、共同幻想的に文化圏の価値を上げて、各々の課題を解決していく。win-win-win。それが僕の理想であり、目指すべき形だった。

思い返せば、このアプローチ方法は以前から社会で幾度となく試されてきた。10年以上前の話だが、株式の多分割による投資者の大幅増も、これを狙ったものだったらしい。仮想通貨を使った『VALU』もそう。WEB3.0もそうだった。

どれもが上手くいかなかったのは、法定通貨との交換が可能だったからかもしれない。そのメリットは強すぎた。マネーゲームとしての参加者があまりにも多かったのである。けれども、トークンエコノミーの最大利点はそこではない。僕は文化圏の創生そのものだと思っている。

人は人と繋がりたい生き物だ。だが、同時に自身の価値観がそれを拒む。多様性を維持するために、争ってでも他人の価値観に染まらないことを生物的に義務付けられているようだからだ。そこへいくと、トークンエコノミーの緩い繋がりは丁度いい。それに対しては同じ価値観の者が集まるからだ。

おそらく、その文化圏では性善説が成立しやすいと思われる。ルールも少なくて済むだろう。ペナルティも然りだ。極論、罰則はトークンの没収だけでいい。歴史を紐解けば、文化圏とは国であり、治める方法も『人治』から『法治』に変わった過去がある。ならば、トークンエコノミーの作る文化圏は『信治』と呼んでもいいだろう。もちろん、治める人や法も必要だが、前提条件として必要信念の保有があり、その証となるトークンの保有がそれに対しての担保となるわけだ。

そして最近、『カブアンド』がスタートした。僕は応援している。けれども心配もしている。本当のスタートは上場後に株価が安定してからだ。価格はどうでもいい。むしろ低い方がいいと思う。伸びしろを共有できるからだ。是非とも成功してほしい。さすれば、模倣モデルとなるだろう。小さな文化圏が乱立するかもしれない。その中にはきっと『原木椎茸文化圏』もあるだろう。

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