わずかな隙間に悩まされる

最近、いいことがあった。だからといって僕の心は踊らない。ガッツポーズも出ない。どちらと言えば気が抜けた。なんなら眠気すら覚える。とはいえ嬉しいことに偽りはない。熱量が低いわけでもないと思っている。これはもう僕の性格なんだろう。

同じようなことはサラリーマン時代にもあった。小さなガッツポーズは出る。いつも決まったシチュエーションでだ。異動のために事業所を出るときがそう。最終日に仕事場の敷地を出るときに、小さくガッツポーズをしてきた。やりきった感がそうさせるのであろう。ミッションコンプリート。そんな意味合いのポーズだが、心は踊っていない。むしろ気は抜けている。それを引き締めるためのポーズであった。

草野球部に所属しているときもである。僕はキャプテンだった。幹事でもある。めんどくさい雑用係と言ってもいいだろう。故に試合で活躍するよりも、いい試合を組めたことの方に達成感があった。プレイボールの声が掛かると気が抜ける。気持ちを入れ替えるために小さくガッツポーズをしたこともあった。僕の気持ちのピークはそこ。試合の内容よりも、そこら辺の景色が記憶に残っている。

嬉しくても派手に喜ばない。ニヤッとするくらいだ。恥ずかしがってるわけでもない。周りに合わせて大きく喜んだこともあった。とはいえ大喜びしている人を否定はしない。むしろ見たいと思っている。それは農園の運営方針にも反映させている。誰かを勝たせたい。その人のガッツポーズを影から眺めてニヤッとしたいのだ。

そんな僕を"変わっている人"とは思わない。案外、農家さんには多いと思う。優しいとか自己犠牲とか、そういった話ではない。単に欲望がそっちに向いているだけのこと。価値観の多様性。それが発現しているだけなんだと思っている。

また価値感の多様性だ。どれだけ僕らは多種多様に生かされているのだろうか。熱心にも程がある。そもそも、僕と誰かでは何が違うのだろうか。遺伝子が違うのは分かる。育った環境も然りだ。その結果、何が違うのだろう。きっと、その答えもシンプルなものだと思う。

ひとつ疑問に思っていたことがある。ニューロン細胞におけるシナプスの存在だ。必要なことは分かっている。次のニューロン細胞へ信号を送るために伝達物質の放出と受容が主な役割だ。これが無ければ信号は止まり、脳の働きも止まってしまうだろう。故にシナプスの存在は重要なのだ。だからこそ思う。もっと高効率で早い伝達手段を持った方がいいだろうと。なんなら直結させてもいいとも思う。

シナプスは複雑だ。基本的には伝達物質を放出して受け取るだけ。だが伝達物質の量、伝達物質が必要なくなったときに働く分解酵素の量や親和性、伝達物質と受容体の親和性などなど、その性能には様々な要因が絡んでいる。故にイレギュラーも起きやすい。痴呆や鬱、発達障害などの薬は、この部分を制御するものも多い。そう考えれば、個人の性格などもシナプスで生成されているかもしれない。だとすれば、高効率で早い伝達手段を持たない理由にも納得してしまう。

シナプスと呼ばれている”隙間”は約20nmと言われている。0.000002cmだ。そこで個人の個性が生まれているのかもしれない。喜怒哀楽の個人差がそこで育まれるのだ。それだけならいい。共感や反感も、その隙間からやってくる。争いの原因と言ってもいいだろう。

わずかな隙間に悩まされる。もしも本当にそうなのであれば、僕らはこの事実をどう受け止めればいいのだろうか。僕は愚かだとは思わない。それでも隙間はあった方がいい。そっちの方がおもしろいからだ。たとえ争いが起ころうとも、それをなくしたくはない。「それでもこの世は生きるに値する」。この言葉がすべてを物語っているだろう。

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