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月曜日の腐った牛乳 その9 【短編小説】

9

「先生! 書き終わりました!」
 一成が立ち上がって言った。教室はざわめいた。それは原稿用紙が配られてから一〇分も経っていなかった。僕はまだ一行も書けていない。

 登志子先生は一成を一瞥しなにかを言おうとしたけど、ずかずかと一成の席まで行くと原稿用紙を取り上げた。
 僕は二人の様子を見ようと身体を左に捻ると、目の前の登志子先生の大きなお尻と背中しか見えなかった。

「ぼくは、はんにんを知っていますが、ひみつです」登志子先生は原稿用紙を目の高さにピシッと持ち上げ読み上げた。「これは、なんですか?」登志子先生は一成とクラスのみんなを同時に威嚇した。

「おなかが痛いから、ほけん室に行ってきます!」
 一成は質問に答えず、その場から逃げようとしたけど、登志子先生はすばやく一成の右腕を掴んだ。一成が必死でもがいていると一成の腕が肩からもげた。一成は腕をおいて教室の前の引き戸から勢いよく出て行った。
 登志子先生は、トカゲのしっぽのようにバタバタと暴れている一成の腕を机の上に置くと、教卓に戻った。

「おれもおなかが痛いから、ほけん室に行ってきます!」
 悠人は立ち上がると、運動場側の窓を開け「アディオス」と言って、三階の窓から飛び降りた。

「私もおなかが痛いので、保健室に行ってきます!」
 学佳も三階の窓から飛び降りた。すると教室のみんなが次々と「おなかが痛いから!」と言って運動場側の窓から飛び降りたり、廊下を走って行った。
 気づくと教室には僕と登志子先生と、一成の右腕だけになった。一成の右腕はもう動いていない。

「残り時間十五分ですよ! みなさん、書けていない人は居残りですよ!」
 登志子先生はホワイトボードに寄りかかって気だるそうに言った。

 僕はまだ、作文の題名と自分の名前しか書けていなかった。左隣の一成を見ると原稿用紙の半分以上も書き上げ、頬杖をついて鉛筆をくるくる回していた。右隣の人を見ると二枚目を書いていた。右後ろ振り向き結を見ると、結は僕に気づき「気持ち悪いから、こっちを見ないでよ」と言いたげな顔で僕を一瞥し原稿用紙に目を落とした。

 僕は結としゃべったことがない。クラスで一番美人で頭が良くて人気者の結が、僕を相手にすることはない。
 僕は今日、机の上にあった牛乳を登志子先生の机の上に置いたのだろうか。あれは僕だったのか。でも、月曜日の腐った牛乳は確かになまぬるかった。

おしまい

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