夜明け前のスロージョギング。アスファルトを踏みしめるジャリジャリという音が心地いい。

この時代に生きる人間はやれることが多い。そして出会える人間が多い。むかしでは考えられないような距離を誰もが簡単に移動もできる。インターネットを使って遠くの人ともつながれる。自分の作品や意見を気軽に世界に発信もできる。

ひとむかし前では特別な人間しかできなかったようなことが、誰しもスマホひとつで、片手で、指一本でできてしまう。すごいと思うことが当たり前になったこの世界。

オレたちはそのお陰で幸せになれたのか?苦しみは減ったのか?
便利になったとは思うが、人類が幸せになれたとは思えない。

夜明け前、スロージョギングをしていてアスファルトを踏みしめるジャリジャリという音が心地よく、低く分厚い雲が空を覆い、低山ですら半分も雲に隠れ、水がまだ張られていない田圃の上を、朝霧がさまよっている。
微細な水の粒子を頬に感じながら、それがいつの間にかメガネに水滴をつくる。

当たり前のようにスマホを取り出して、薄闇を照らす街灯を写真に撮る。重たそうな雲と霧に包まれた山を撮る。オレの脳がその風景を見た瞬間にSNSに投稿しようと思い、どんな構図で撮ろうかと思考をはじめる。
そこには誰か第三者が現れる。オレと世界だけだった世界に誰かが想定され介入してくる。

それは世界にインターネットがあり、スマホがあり、SNSという便利なものが当たり前のようにオレたちの日常にあるあるからだ。

これは幸せなのか?
風景を純粋に味わうことすらできない世界を、人間は求めていたのだろうか。

いまここにいることを難しくするテクノロジー。
やれることが多くなってしまった世界。
自分たちではもう後戻りはできない。

ひとつの苦しみが減ると、ひとつの苦しみが増える。
世界は相対的だ。光が差せば影が生まれるように。

いいなと思ったら応援しよう!