オレは文章を書くとき、それを読むかもしれない誰かを考えてしまうと、何も思いつかなくなる。
誰かに何かを伝えたくて文章を書いているのかもしれないけど、文章を書いているときは兎に角「伝わる/伝わらない、意味がわかる/わからない」は置いといて、思いつくがままに筆を進めないと1行も書けない。
いまそれに気づいてようやく筆が進み出した。
それまでの1時間ちょっと、1行を書いては消し、書いては消していた。自分が何を書きたいのかわからなくなっていた。
「こんな支離滅裂な文章を書いても伝わらないぞ。」「書こうとしていることが抽象的すぎて誰にも理解されないぞ」、と読み手を想定して書こうとしていた。
それは文章を書くにあたって至極当たり前のことのように思えるのだが、どうもオレには当てはならないようだ。
オレは自分のためにしか書けないから。
自己中で自分ファーストである。じゃないと何もできないし、つづかない。
オレは自分がいまこのときに興味があることしか書けない。だから似たようなことばかりを書くと思うけど、それはしょうがない。自分がスッキリするまで、飽きるまで書きづづける、吐き出すしかないのだろう。
そういえばオレは気づきや発見を書くことが好きなのかもしれない。
まさにこの文章は自分への気づきだ。
こういった気づきをもう少しドラマチックに表現できたらいいのになぁと思う。
それは自己満足のために。
毎日500文字以上書くことを自分に課しているが、苦痛ではない。好きな時間だ。
書き続けていたら、語彙力も文章力も多少はつくと考えている。文章を書くことに対するメタ認知はこれでもずいぶんとついてきているのだ。
とにかく自分のために書き続ける。
なんとなぁ〜く愉しいから書きつづける。
好きなことをやりつづけることができることは、しあわせなことだ。
自分に与えられた環境、この身体も含めてフル活用していこう。
評価は求めない。価値は自分で決める。
おもしろいかどうか、愉しいかどうか、それだけがオレの指針だ。
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