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存在しない者 其の2【ショートショート#65-2】

 私は見たくもないテレビを見ていた。見させられていたといっていいと思う。テレビのバラエティ番組ほど時間を無駄にするものはない。私は目を開けたまま目を瞑り、聞こえてくる音を聞かなかった。長い年月をかけていつの間にか身につけた技術だ。私は私がテレビを見ている間、身体と精神の成長関係について考えていた。

 人間の精神の発達は身体に大きく左右されると私は考えている。私の身体は申し分なく健康体だ。身長は低く力は弱かったが、身体的に不便さを感じることはなかった。ただひとつだけあるとしたら、私の意志には従わないということだった。痛みも痒みも、暑さも熱さも、眠気も空腹も満腹も感じることはできるが、それ止まりだった。まったくもって身体は全自動で私の望まないことを次々とやってのけた。

 CMに入ると私は、リモコンでテレビのチャンネルを次々と変えた。数分間テレビのリモコンを押し続け再び元のチャンネルに戻した。私はテレビを切りたかったが、指は赤い電源のボタンに触れることはなかった。

 ある日、私は風呂の中に顔をつけて息を止めていた。私は苦しくなって目を覚ました。しかし私はそれでも湯船から顔を上げずにじっとしていた。鼻の穴からぷくぷくと空気が出ていった。私は息が吸いたかったが、それは許されなかった。私の意識が薄れまた眠りに落ちそうになった瞬間に、水面から顔を上げて空気を胸いっぱいに吸い込んだ。心臓の動きは速く、少し咳き込んだ。どうして私がこんな目に遭うんだと混乱したが、身体はゆっくりと肩まで湯に浸かり鼻歌を歌っていた。

 私はその鼻歌が気に食わなかった。テレビCMの歌だった。私は歌いたくなかったし、聞きたくもなかった。だから私は呼吸を止めた。はじめて身体は私の願いを聞いてくれた。肋骨、横隔膜は動きを止め、空気は口、気管、肺胞の中にとどまった。そして、鼻歌は止まった。身体はパニックになったが、声を上げることはできなかった。私が呼吸を止めていたからだ。身体は脱衣場に転がりひっくり返った。私は息を吸った。呼吸の音は心地よかった。

つづく

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