すべてのものは試行錯誤した実験の結果である
すべてのものは試行錯誤した実験の結果である。
タンポポは水と養分をよく吸収するために試行錯誤の末に真下地中深くに根を伸ばし、葉は太陽の光を目一杯に受けるために重ならないように開き、花は虫たちに目立つような色に染めあげ、種子は遠くに仲間を増やすために風の強いときにぐっと頭をもたげ、綿毛を飛ばす。
トカゲは鳥や猫に襲われたとき、尻尾を切り落とし身を守る。鳥は空を飛ぶために体を軽くし、ガゼルはチーターから逃げるために高く飛び跳ねる四肢を持つ。
人間は二足歩行になり、体毛をなくし汗をかき長距離を長時間動けるようになり、獲物を狩ることができ、火を使うことができるようになり食べ物を効率よく吸収でき、エネルギーを大量に消費する脳も発達させた。
すべては試行錯誤の実験の結果が、いま目の前に存在する。
それを見て感じて考えている自分もその結果の生きものである。
いまオレはこの記事をiPadで書いているが、これも人間が試行錯誤して実験をした結果である。人間が関わったすべてのものは誰かが必ず、どこかの時代で、どこかの場所で、試行錯誤して実験した結果いまここに存在している。
iPadが出来上がるまでに、何人の人がそれに関わって、どれだけの時間がついやされたのかは知るよしもないけど、究極まで遡ると人類の誕生、そして宇宙の誕生にまで思いを馳せることができる。
すべては宇宙が試行錯誤し実験をした結果の現れである。
ある意味、オレたちは宇宙の作品なのだ。
そして宇宙も作品そのものなのだ。
このままで完璧な、それでいていつまでも未完のままで、とどまることがなく変化しつづける。