起きて一〇時間経つが二時間分しか思い出せない【偽装エッセイ】
夏の強い日差しに照らされて庭の雑草がくっきりと暑苦しく見える。風に煽られて上下左右に揺れ動いている。それはまるでひとごとのように見える。ただの映像。私はその景色を部屋の中から眺めている。聞こえてくるのは通りを通る車の路面音と、部屋のエアコンの音と、自分の咳の音だけ。
いきたい場所もなければ、会いたい人もいない、話したいこともない。自発的に。出かける準備をし、バックパックを持ち玄関に立ち靴を履くが、次の一歩が出ない。立ち尽くす。バックパックを玄関に置き、部屋に戻りエアコンをまたつける。
なにも変わらない窓の外を、口を半開きにしたまま小首を傾けぼけーっと眺める。なんの発見もない。スマホの無料ゲームをする。2回だけする。まったくの無駄な時間だ。しかし生きていることに全く意味を感じないんだから、有意義な時間も、無駄な時間も等しく意味がないはずなのに、洗脳された思考は有意義な時間を求めようとする。逆に無駄な時間を不快に感じさせる。
爪を噛みながらテーブルの上のデジタル時計を見る。十五時三十九分。私は今日、この時間までいったいなにをして過ごしてきたのだろう。思い出す。二時間分しか思い出せない。残りの時間は真空になって消えてしまったようだ。記憶なんてそんなもんだ。痛みを伴うものしか残っていかない。そして痛みに支配されていく。
頭を開き、脳みその無意識を調べたらきっと、痛みしか出てこないだろう。