オレにとって〈人間がめんどくさい〉とは

オレはいろんなことが“めんどくさい”とすぐに思ってしまう。
そしてそれは生きていくことがめんどくさいとなる。

どんなときに“めんどくさい”が発動するのか考えてみた。
人と自分と比べたとき、人の目や反応を気にしたとき、過去の自分と比べたとき、先(未来)のことを考えたとき、こんなことがこれからも続くかも知れない、また起こるかも知れないと思ったとき、自分の中の「〜すべき」が出てきたとき、特にそれを人に強要したくなったとき、イラついたりモヤついたとき、自分という人間に“めんどくさい”と思う。

そんなとき軽く絶望する。「めんどくさい自分をどうすることもできない」とあきらめることができない自分を理性では受容しようとしつつも、心の奥ではあきらめきれていないのを薄っすらと感じる。

たぶんオレは1ミリたりとも未来のことを考えたくないんだろう。これから起こるかも知れないことが一瞬でも頭をよぎるとそれは苦しみになる。
オレはなにかしら未来に期待をしているのだろうか。そしてそれを無意識にプレッシャーに感じてしまうのか。

これはオレの生まれ持った気質なのか、それとも小さなときにできたメンタルモデルなのか、そんなこととは関係なく宇宙が誕生したときから決定していたことなのか。

朝の風に庭にある柿の木の新緑の葉が数秒間、サワサワサワサワと音を立ててそよぎ、柿木に目を向ける。それだけで十分に満たされる。音、動きがただそこにある。

我が家のネコがノラネコと唸りあっている。ケンカに発展して怪我をしないだろうか。
オレが介入するとそれまでの均衡したバランスが壊れ、追い掛け合いになり道に飛び出すかも知れないので、外に出るか悩む。しかしそこにめんどくささはない。

この文章をゆっくりと書きながら自己内省が進んでいく。

自然や動物に関してはあきらめ、受容をすることができる。しかしそこに人が関わってくると、まったく違うものになってしまう。
煩わしさだ。人間は社会的な生きものだ。原始の時代は仲間から追い出されるとそれは死を意味する。だから人間は本能的に他人を意識する。

生き延びるために必要なことだ。
オレはそれが煩わしくてしょうがない。

人間が生き延び発展するために進化させてきた、未来を想像する力と共同体感覚。
それに囚われめんどくさい。そんな能力を身につけてしまった人間がめんどくさい。

ひとりでは生きていけないと知りつつ、ひとりで生きていくことに憧れる。

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