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自分で制御できることに集中し、自分で制御できないことは置いておく。例えば小説家になることは制御できないが、小説を書くことはできる。

オレたちは常に何かしら行動をしている。ボーッとしていることもひとつの行動だ。
そして人間の世界は、何かしらの行動の結果で埋め尽くされている。

この文章はオレが考えキーボードを叩いた結果だし、このキーボードは誰かが工場で働いてつくった結果だ。オレが住んでいる平屋の家は、オレと妻がほしいと大工さんに依頼し、大工さんが建ててくれた結果だ。家の前の道は誰かが道が必要だと考えつくった結果だ。

例えば、家の近くの信号機が夜眩しくて迷惑なら、雨戸やカーテンを閉めるか、高い塀をつくるか。、街の行政に苦情を言って対策を取ってもらうか、夜こっそりと信号機を壊すか、自分でとれる行動はいく通りもあるが、結果信号機の夜の眩しさが解決するかは、やってみないとわからない。

オレたちは自分の行動を制御、コントロールすることは比較的できるが、結果をコントロールすることはまったくできない。たまたま思い描いていた結果が得られたとき、その結果を自分が制御コントロールしてつくったと勘違いしてしまうと、のちのち苦しくなる。いつも望んだ結果が得られるわけではないからだ。

要するに、自分の行動は制御コントロールできるが、結果は自分ではどうすることもできない。確率を高くすることはできるが、それはあくまでも運ゲーだ。

オレの気分は、ほとんどがどんよりとした曇り空だ。自分ではコントロールできない。

しかし、朝散歩をして幸せホルモンであるセロトニンを分泌させることはできるし、運動をし成長ホルモンを出して体調を整えることもできる、小さな目標 To Doを達成して快を感じさせるドーパミンを出すこともできるが、実際に気分が晴れ晴れとするかはやってみないとわからない。以前に比べれば良くなってはいると思うが。

オレたちは自分が望んでいる世界、状態に向かって、そこにつなっがている行動をとることしかできない。

オレたちは常に何かしらの行動をとり続けている。

その行動が自分の望む世界につなっがているのなら、もしかしたらいつか、望む世界(結果)が訪れるかもしれない。

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