役に立たないが、知りたい
『直島誕生』秋元雄史
現代アートからの疎外感を感じていたわたしへ。
精神安定剤になるような一冊を探して本屋の棚を漁って、見つけた本がこちら。ミニマムな表紙。
現代アート=理解しがたい芸術、という思い込みを消し去ってくれた貴重な一冊。
「現代アート」と称される作品たちが、近代までの一般芸術に比べて敷居が高く感じられる理由。それは背景や伝えているメッセージが、一般常識や社会通念から離れたところに置かれているからなのだと思う。
中世ヨーロッパでは、キリスト教を理解する者であれば、眼前の芸術が意味するところも理解できた。
というより、芸術そのものが信仰の原動力だったのかもしれない。見る者がキリスト教のコンテクストを持たなくても、中近世の西洋芸術はそこにあるだけで、人にはたらきかける。
翻って現代、人間はある程度互いの文化を理解し、一見世界は(中世とかに比べれば)均されたように見える。
でも結局、誰一人相手のことはおろか自分のことすら見失いがちで、完全にパラレルワールドを生きてる。
その中にあって、一つのものを見て共通のことを思うというのはかなり難しい。
だからこそ、個々人の思うストーリーを呈示することが、芸術という形で評価されてきているのかも。芸術に手順としてのマナーなんてないんだなあと感じた次第。(お行儀という意味ではなく)
芸術は、人を感動させることはあれど、実生活で役立つ知恵を与えてくれるものではない。でも、知りたい。そう思わせるのが芸術ではないですか。
知りたいなら、一歩入ってみればいい。
と肩を押されたような気になる本です。
なんてったって、芸術の秋ですから。
最後まで読んでいただき、うれしいです。 サポートをいただいたら、本か、ちょっといい飲みもの代に充てたいとおもいます。