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【北方領土】祖父がロシア人に家を追い出された話

こんにちは。たむです。

今日は祖父が北方領土からロシア人に追い出され、命からがら逃げてきたときの話をします。

祖父は数年前に亡くなってしまい、母や親戚から聞いた話なので伝言の中で多少脚色が加えられている部分があるかもしれませんが、ご了承ください。

元島民の方々もかなりご高齢になってきているので元島民3世である自分が伝える側に回るべきなんじゃないかと思い始めたので一度まとめてみます。

ロシア軍による侵攻前

祖父は本州で生まれ、幼少期に家族で歯舞群島の多楽島という島に移り住みました。そこでは家族で漁業に取り組みました。祖父は小学生になり島内の学校に通い始めました。小学校には240人ほどが通っていたそうです。

普通に授業も受けましたがほどなくして戦争が激しくなり、学校どころではなくなりました。勉強などする暇もなく、防空壕やたこつぼを掘って逃げる訓練ばかり。時には米俵に竹やりで突く練習もしたそうです。

ただ戦争自体は米英とのものだったためロシアに近いからという緊張感は特段なかったと語っていました。そんな中、ロシアが条約を破って北方領土に侵攻してきます。

侵攻~脱出

家族で家にいたところロシア人が土足で侵入してきました。急な出来事だったため何が起こっているか全く理解できなかったといいます。祖父は14歳前後でした。
何人ものロシア人が家の中に侵入してきたため抵抗することができませんでした。ロシア軍は銃を持って脅すというようなことはしなかったため、家族で家を捨てて逃げたといいます。

家を捨てた後は住むところがなく、島内がすべてロシア兵だらけだったため船で島からの脱出を試みました。日中はロシア兵が海岸沿いをうろついていたため真夜中に決行しました。電気などはつけられないため先の見通せない中での命がけの脱出だったといいます。そして何とか無事に納沙布岬のある根室市近辺に上陸することができました。

根室市上陸後~

根室に上陸した後はもともとそこに住んでいた親戚を頼ったそうです。その後いつまでも頼ってはいられないと祖父の家族全員で別海町に移住して漁業を始めました。そこから亡くなるまでずっと別海町に住んでいました。
祖父の友人は語り部として活動していたものの、祖父自身は根室から離れたこともありそういった活動はあまりしませんでした。
自分から話すことがあまりなかったところを見るとかなりつらい出来事だったことは想像に難くありません。

ロシアのウクライナ侵攻に思うこと

ロシアは2022年に入ってからウクライナ侵攻を始めました。歴史的背景はあまりわからないですがただ一つ言えることは軍事侵攻は絶対に合ってはならないことだということです。
戦争によって攻め込まれている地域の市民がどれだけ苦しい思いをしているかは計り知れないものがあります。

知らない人が家に入ってきてなぜか追い出されなければいけない
着の身着のまま命がけでの脱出
知らない土地での新しい生活

このように幸せな生活が一変して命がけの困難な生活を強いられます。

ウクライナで起こっていることですが日本も他人ごとではなく、実際にロシア人の侵攻によって北方領土から命からがら逃げてきた人が日本にもいるという事実を皆さんにも知っておいてほしいです。

正直、今さら北方領土が返還されるとも思いませんが日本固有の領土であることに変わりありません。侵攻によって苦しんだ人もいるということを頭に入れていただき、北方領土返還の街頭活動や署名活動にはぜひ協力していただきたいなと思います。


少し重ための話でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

ではまた!

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