好きな教科と嫌いな教科
中学の美術で3をつけられたことが屈辱でした。たむです。
一昨日やっと大学のテストが終わり、晴れて夏休みに入りました。
今まではオンラインで資料参照可のテストばかりでしたが、大学にはコロナが収まってきているように見えているらしく対面でのテストが4つもありました。
久しぶりにテスト勉強というものをして、自分的に勉強しやすいものとしにくいものがはっきりしているなと思いました。そこで今回はその差について考えてみようと思います。
センター試験の教科で考えてみよう
高校の5教科で考えると好き嫌いの分類はこうなります。
明らかな文系男ですね。
ただ中学までは5教科オール5くらいとれていたので苦手とかはほとんどありませんでした。
しかし高校に入ってからというもの数学と理科の点数の伸び悩みが著しく、だんだん嫌いになっていきました。
嫌いだから勉強しないのか、勉強しないからわからなくて嫌いになったのかはわかりませんがとにかく理系科目は好きになれませんでした。
ではなぜ理系科目が好きになれないのか、得意になれないのかを考えます。
使いどころがわからない
僕の場合は中学までは数学も理科も嫌いではありませんでしたし、数学に至ってはむしろ好きな部類でした。数字が嫌い、計算が嫌いというわけではありません。
高校数学という1つの大きな壁があったわけですが、高校数学で感じた壁は使いどころが良くわからないという点にありました。
高校数学の代表的なものとして微分積分、ベクトルなどがありますが、こいつらを現実世界においていつどこで使うのかを僕には全く想像できませんでした。
中学までは「A君が忘れ物をしてB君が走って追いかけました。何分で合流しますか?」のような文章題が割と多かったんですね。だからこの文字式はこういう時間を求めるのに使えるんだ、という風に教科書以外の現実世界と結び付けて考えることができたため、覚えることができていたと思います。
現実と教科書という2軸によって覚えるべきことに照準を合わせられていたということです。
しかし、高校数学では現実という片方のアンカーが留まっていないため、自分の学んでいることが何なのか自分でもわからなくなりモチベーションの低下につながりました。
これは数学だけではなく理科でも同じことが言えます。
物理はジェットコースターという具体的な例が出てくるため、割と頭に入りやすく忘れにくかった印象があります。
しかし化学は目に見えません。ベンゼン環はどれだけ目を凝らしても顕微鏡を使おうとも出てくるわけがありません。しかし僕は目に見えないものをいつの間にか拒絶してしまっていました。
公式、概念を現実と結び付けられないと勉強に対するモチベーションは一切上がりませんでした。
文系科目はどうなのか
では文系科目を考えてみましょう。
文系科目の中でも得意不得意があったので細分化してみましょう。
いかがでしょう。何となく仮説が当てはまるような気がしてきます。
得意教科は現実世界でよく出てくるもの、教養としてなければ生きていけないものであるのに対し、不得意なものはあったらいいもの、現実世界からは遠い存在です。
特に倫理には苦手意識があり、偉人の考えた哲学に対して全く共感というかイメージができず、「何言ってんだこいつ」と思ってしまい勉強しようと思いませんでした。
このあったらいいなを学ぼうとしないのは自分の自己分析とよく合っている気がします。以前のnoteでも少し触れたのですが僕はやるべきことは遂行できるのですがやったらいいなということには全く気合いが入りません。そういった精神が勉強でも作用していたように思います。
まとめ
要するに抽象化されたもの、概念を学ぶことが圧倒的に下手です。何でもかんでも具体化して自分ごとに落とし込まないと理解できないし、モチベーションも上がりません。
そこでこの特性を理解して、概念的なものに出会った時はいろいろなものに例えることで理解力を高めていきたいと思います。なんでも例えマン爆誕です。
そういえば経営学部に入ったのも社会で役に立つ実践的なものを学びたいと思ったからでしたが、今回記したような自分の特性を考えると自分に合った学問であり、学部なのかなと思います。
フットボールアワー後藤よりも例えツッコミが上手くなるように精進します。
読んでいただきありがとうございました。ではまた!!
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