『魂の光』解説年間講座 第11回レポート(前編)
今日は『魂の光』解説年間講座 第11回レポートの前編を書きます。
今回から『ヨーガ・スートラ』第四の書に入ります。
第四の書では、ラージャ・ヨーガの実践によって得られた能力や成果がグループ意識へと高められ、それらが単に自己意識だけでなく、普遍意識(ユニバーサルマインド)も生じさせることを見ていきます。
シッディを得る方法
第三の書で語られていた様々なシッディ(サイキック能力)を得る方法は瞑想以外にもあるようです。
『魂の光』では下記のように書かれています。
高位と低位のシッディは、転生、薬物、力の言葉、強烈な欲求、瞑想によって得られる。
この中で、真理の探究者に許される方法は、転生と強烈な欲求(燃えるような熱誠)と瞑想とのことです。
薬物や力の言葉(マントラの唱和)は黒魔術の道であり、低位能力に関係するものであるとのこと。
アルコールや薬物の使用は、アストラル意識を解き放つことができるが、真剣にラージャ・ヨーガを学ぶ人々が関与すべきではない、とのことです。
結局は八支則を地道に行うこと、そして1回の人生では達成しきれないので転生を重ねることでしか達成不可能ということですね。
「私はある」
「私はある」という言葉は聖書に出てきますね。
モーセが神のことを人々にどう説明するべきかたずねた時、「わたしはある。わたしはあるという者だ。」と言われ、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」
私がモーセなら「なにそのわかりにくい名前!」とツッコミを入れたくなってしまいますがね。聞いた方も、「え、誰て?」てなりますよね。
この「私はある」という意識が、個人性の感覚を享受するための器官を創造する原因となるそうです。
ある存在(太陽系、惑星、人間)の意識が外側に向き、欲求の対象、知覚力のある存在、個人的な経験、感覚知覚と楽しみを求める生活に向いている限り、欲求を満たし、物質化された存在を享受し、対象を知覚することを可能にする媒体や器官は創造されます。
形態や感覚知覚、外に向かう傾向に真の喜びや楽しみはないという事実に意識が目覚めると、外に向かう傾向を徐々に撤退させ、霊を形態から抽出するための新しい努力が始まります。
物質化された存在を享受する器官から個人性の感覚を享受するための器官に進化する。。実際どんな感じなのかちょっと想像が難しいですね。
意識は一つ
すべての形態の背後には一つの生命が存在します。すべての原子(太陽系、惑星、人間、エレメンタル)内に一つの知覚力のある存在が見られます。
一つの生命である自分を考えてみると、自分が肉体の全器官と、それらを構成するすべての細胞の形成を担っている事に気づきます。自分がそれらを集めて器官や形態を生み出した原因であり、それらの形態の存在を維持しているのも自分自身なのです。
自分という小さな宇宙の中で、自分の意識は一つでありますが、そこから多くの形態が生じています。
そして人間(小宇宙)に当てはまることは、大宇宙や神にもまた当てはまるということです。
カルマの法則からの解放
瞑想の過程を正しく理解し実行したとき、意識は三界のすべての形態から撤退し、すべての感覚的な知覚と傾向からの抽出が起こります。
完全に集中し三界とは何の関係も持たなくなった彼の思考は、外に向かう波動を全く発せず、どのような形態にも関与せず、どのような質料にも影響を与えなくなります。
そしてこの集中した瞑想が習慣になり、生活において平常の日常的な態度となったとき、カルマの法則から解放されます。
カルマの種類
カルマ(行為)には4種類あるそうです。
1) 黒のカルマ:邪悪な堕落した行為
この邪悪な堕落した行為が、無知ゆえに起こしたものなのか、根深い物質主義によるものなのか、意図的な選択の結果なのかによって、解消の仕方が違ってきます。
2) 灰色のカルマ:善くも悪くもない行為
普通の人の多くの行為はここに当てはまります。愛から行った行為と、憎しみから行った行為の間を行ったり来たりするのですが、相反する対をなすものの間を揺れる振り子は徐々に調整され、いずれはバランス点に到達するそうです。
そして、善悪どちらの要求によってどちらかに引き寄せらえるからではなく、愛の法則と魂の法則によって上から方向づけられるため、正しく行動するようになるとのこと。
3) 白のカルマ:生き生きとした思考に基づく行為
カルマが白い人々とは、相反する対をなすもののバランスを取ることに長け、三界からの意識的な知的開放の過程に携わっている人々とのことです。
彼らはメンタル的な発達のための学習や、マインドを統御するための瞑想や、無害性を実践しています。
4) 黒でも白でもないカルマ
灰色ともまた違うようですね。
これは解脱に達したヨギが行う行為のことのようです。
彼は自分のためには何も求めず、無執着に行動するため、カルマを生むことはなく、彼の行為は自分自身に何の影響も与えなくなります。
黒・灰・白の三種類のカルマから、結果を結実させるのに必要な形態が現れます。
白い種子は魂の入れ物であるコーザル体を作りますが、コーザル体は最終的な解放において破壊されます。
一度行われた行為の記憶は魂と共にとどまり、やがては必ず発芽します。
今世で作った種子は今世で発芽しなくても、きっちりと来世に持ち越しされるということです。
第四の書むずっ!!
第四の書は、高度な意識段階について書かれているし、話が急に飛んだりしている感があってとても難しいですね。解説本の著者によっても解釈が全く違う部分もあったり、人間が読み解くには辛い書物のようです。
そういう意味では人間を超えたハイラーキーが書いた『魂の光』は一番信ぴょう性あるかもですね。だってハイラーキーということは第四の書で書かれている道筋を体験済みってことですもんね。
でももう少しフツーの人間にもわかるような書き方して欲しいな。