見出し画像

『魂の光』解説年間講座 第12回レポート

今日は『魂の光』解説年間講座、第12回のレポートを書きます。

いつも前編と後編に分けて書いていましたが、今日の前編で『ヨーガ・スートラ』第四の書の最後まで終わりましたので、今日で講座レポートも終わりにしようと思います。

全部読んだからといって理解できる代物ではないのですが、難解な書を最後まで学びきったというのは達成感があって気持ちいいですね!


「世にあるが、世に属しておらず。」

第一の書から第三の書までは、ラージャ・ヨーガの8つのステップ(八支則)を通してサマーディに達するまで(とその結果得られる能力)が書かれていました。秘教的に言うと、肉体(+エーテル体)→アストラル体→メンタル体を統御して魂と繋がることができるようになるまでですね。

第四の書では、その意識を24時間365日ずーーっとキープすること、魂とずっと繋がり続けることについて書かれています。

そのような人はどんな人なのでしょうか?

魂と繋がり続けている人というのは、感覚知覚の世界から自分自身を完全に引き離しているので、ものごとを「ありのまま」に見るのみで、ものごとに対して全くの無執着となっています。

キリストの描写として「世にあるが、世に属しておらず。」と聖書に書かれています。この世に確かに存在して生活をしているのに、この世に属していないとは、普通の人間からしたら理解しがたい境地ですよね。

それは、すべてのものの魂と一体であるが、形態や物質性質に関するすべてのものからは孤立し、分離している、という状態です。


カイヴァリアへの道

魂と肉体の融合を達成し「孤立した統一」という段階に達した先にはもうひとつの合一、魂と霊の合一が可能であるのですが、その達成のために突き抜けるべきベールはかなり分厚いようです。

魂と繋がれたとしても、最大限の警戒を払わない限り、マインドの古い習慣は非常に簡単に再び自己主張するようになるからです。

サマーディ達成後に得ることのできる超能力に夢中になったりするのも落とし穴でしたね。

この逆行の罠に勝利する方法は、ヨーガの初心者と全く同じだそうです。
ひたすらアビヤーサ(努力し続ける)とヴァイラーギャ(離欲)の実践となります。

長い実践によって識別が来るとき、恐怖はやみ、心は孤立を達成します(カイヴァリア)。


カイヴァリアの向こう側

すべての壁が崩れ落ち、あらゆる障害が取り除かれた時、輪廻転生の車輪はその目的を果たし終えます。

彼個人が清算すべきカルマは消え去り、新しいカルマを生むこともなくなり、魂は束縛から解放されます。輪廻転生してカルマを解消する必要はなくなるのです。

そして、「あらゆる知識」が手に入るようになります。
すべての知識は彼のものになり、知識を得るためのあらゆる道が開かれます。


ラスト3スートラ

最後の3つのスートラは、修行の最終段階、壮大な頂点について描写しています。
意味を味わうため、スートラをそのまま書き出してこのレポートの締めくくりとしたいと思います。

難しい部分はありますが、なんだか「美しい」と思えるスートラです。

32.三つのグナに固有の性質を通して生じるマインド・スタッフ(物質の特質)の変異は、その役割を果たし終えたため、終焉を迎える。
33.マインドの連続する変異の結果である時間もまた終焉を迎え、永遠なる今にその席を譲る。
34.物質の三つの特質(三つのグナ、性質の力)が真我に何の影響も及ぼさなくなったとき、孤立した統一の状態が可能になり、純粋な霊的意識が唯一なるものの中に撤退する。


『魂の光』解説年間講座、終了!!

2020年4月から2021年3月まで、全12回の講座が終了しました~!

ひとこと感想。「あ~、むずかしかった!」

秘教を本格的に学び始めて3ヵ月経ったくらいからスタートしたこの講座。
秘教の言葉には少し慣れていたけれど、ヨガに関しては全く知識はないし、もちろんサンスクリット語も分からないしで、最初は先生の話している内容が宇宙語のように聞こえました。

それでも、『秘教治療』では語られていない「魂とのつながり方」が『魂の光』には書いてあるということなので、こりゃ必須の知識や!との気合で宇宙語の理解に努めました。

想像いていた通り、いや、想像していた以上に、魂と繋がるまでの道筋は険しいのだということを思い知らされるような内容ではありましたし、どちらにせよ、今世で達成できるようなものではないのですが、多くのヨギーが実践し成功している「科学的なメソッド」を勉強できたのは良かったです。

それと、『秘教治療』を学んだ限りでは「結局魂と繋がらないことには何もできないんじゃん!」と悲観にくれていた(←大袈裟)のですが、魂と一瞬でも繋がることができれば、ブッディ界から直観を得ることができるかもしれない、ということが知れたのも大きかったです。

本格的なラージャ・ヨーガの実践は来世以降の私にがんばってもらうとして、今世では日々の生活の中で感謝や奉仕の心を養っていくのと、この世の真理について探求することに引き続き注力しよう、と思った次第です。

神尾先生、クラスメイトのみなさま、1年間ありがとうございました!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?