乳がんサバイバー 第22話 最後の抗がん剤と生えてきたふわふわな産毛
8月の最後の抗がん剤の前に基地の施設からタウンハウスへ移れることになった。ビーチエリアと行ってもワイキキではなく、西側のエバビーチという場所だ。タウンハウスというのは家が二軒横にくっついている集合住宅だ。一階2階が住居になる。今度はここに3か月間契約をした。
日本からの荷物はコンテナに入ったまま港に保管してあった。これは家が建ったら運び込まれることになっている。
息子は3年生からここ地元の小学校へ通うことになった。ハワイでは8月の初めごろから新学期になっていたので、夫がその学校へ連れて行ったのだが、やはり初めはクラスに入れなかった。
闘病中の引っ越しは痛む足を引きずりながらで大変だったが、やることがたくさんあって、嬉しかった。タウンハウスの2階の寝室にタオルやシーツや洋服を一日運んだ。施設では借りていたお皿やキッチンのものが、ここにはないので少し買った。毎日忙しくても、普通の生活ができる喜びでいっぱいだった。
――ついに最後の抗がん剤をする。
うれしくて叫びたい! 前日の腫瘍科医は忙しく機嫌も悪く、書類もなくし、リンパ腺の転移の数も間違えていた。自分で見つけたくせにと思う。 この人に会うと余計に具合が悪くなってしまう。
前夜と早朝に薬を2回飲み、病室へ。大きい部屋に移動してから2回目だ。たくさんの人がいる。この人たちは皆、がんという病気と闘っている。顔色が皆似ている。 灰色のようなどす黒い感じになるのだ。生きるための薬のはずなのに一様に生気を失う。
最後の抗がん剤治療ということで、病院で知り合いになったケーシーが電話をくれた。
この女性は20歳から5回も違う個所の癌になっている人だ。初めて手術した時に隣のベッドにいて、私が痛くて唸っているときに声をかけてくれたのだった。
「ハーイ! お隣さん、どこの手術なの?」
「乳がんで……だから胸なの」と答えると
「何回目?」と聞いた。
「もちろん、初めてよ」とびっくりして言うと
「私は5回目よ!」と言うので本当に驚いた。
それから病院で会うたびに彼女の話を聞いて、勇気をもらった。そのケイシーが「おめでとう」と電話をくれたのだった。
「ケイシー本当にありがとう。泣いてた私を励ましてくれたよね。手術の後で」
「どういたしまして。ここまで本当によくやったわね!誇りに思うわ」と言ってくれた。
病院に通っている間にいろいろな人と知り合いになる。 中には苦手な人もいたが、優しく思いやりのある人も多かった。ケイシーの5回の癌の話と
「5回も大丈夫だった私がだいじょうぶなんだから、あなただってだいじょうぶよ」というセリフには本当に励まされた。
私も治療が終わったら、できるだけ多くの人に自分の話をしようと思った。
「こんな大きい癌で大丈夫だったんだから、あなたもきっと大丈夫よ」と。
* * *
抗がん剤も終わり、落ち着いた日々が戻ってきた。 まだ髪も生えてないけれどほっとしている。
抗がん剤は脳にも影響を与える。 ケモブレインと呼ばれて、人によっては過去の記憶が飛んだり、忘れやすくなったりする。私の場合は数字が一切暗記できなくなってしまった。 もともと苦手だったけれど電話番号をどうしても暗記できない。これは一年以上続いたし、今でも苦手だ。
どうしても全部暗記できないのだ。 一つ数字が抜けたりする。何かを全く覚えていないということも、ど忘れもないのだけど私の場合は数字だった。
息子はハワイの小学校に通いだしていた。何度も泣いて教室に入れない朝が続いたが、ようやく泣かないで学校に行けるようになった。一安心だ。 強くなってきた。優しい素晴らしい先生に出会えたことが大きかった。そっと見に行くと皆で元気に校庭を走っていた。もう大丈夫だ。
私も足が痛いくらいで家事などもできる。宿題を見て、夜は本を読んであげられる。これも以前は毎日していたことで、治療中はできなかったことだ。だんだん元のママに戻っていくのは嬉しかっただろうと思う。 私もうれしい。
少しづつ元の生活に戻ればいい、そう思っていたのだが病院でドクターに
「早く元通りになりたいです」と言うと
「まったく同じには戻れないわ、病気をしたんだから」という。少しがっかりしたけれど、確かにその通りだ。その事実は消せない。まったく同じ私には戻れないけれど、以前よりもっと良くなればいいと思った。
まだ足はすごく痛むが食事の味もして、吐き気も胸やけもしない。これは本当にうれしいことだった。少し足を引きずっていたけれど、なんでもできる。
「なんでもできる!!」と叫びたい気持ちだ。
そして最後の抗がん剤から約2週間後、頭に産毛が生えてきた。ぽわぽわの小鳥の生え始めの毛のようだ。 ダチョウのひなのようでもある。 赤ちゃんはこういう髪の毛が最初生えるけれど、あの感じだった。赤ちゃんと違うのは白髪も混じっていたことだ。フワフワの白髪には思わず笑ってしまった。
見た時はすごく嬉しかったけれど、この後ちゃんとした髪の毛は生えてくるのだろうかと心配でもあった。