乳がんサバイバー 第18話 生きていたい
注 このエッセイは17年前の記録です。当時悪性の乳がんで10年生存率は20%と宣告されました。「生きていたい」と泣いていた日々。17年後の私はあちこち傷だらけですが、今日も元気です!
* * *
あと2か月の我慢だ。8月に全ての抗癌剤が終わる。そして10月には放射線も終わる予定だ。
それで大きな治療は終わり、あとはホルモンブロック剤による治療になるはずだ。
今年中に再建手術もできるだろうか? その頃引っ越しもある。小学校のことなど心配もたくさんあるが、早く病気を治したい。なんとか元気になりたい。
毎日そのことばかり考える。
乳がん治療の前は、息子が寝る前に日本の本を読むのが日課だった。日本語を覚えて欲しい、日本の心を持ってほしいと思っているので、毎晩読んでいたのだった。日本昔話を「むか~しむかし」とおばあさんのように声を変えて読むといつも笑って大喜びだった。
今回は副作用があまりにつらくて、本を読むこともできなかった。
息子は本を胸に抱えて、ベッドの足元に立って泣いている。
でも目もまともに開けていられなかった。心の中で「ごめんね」と言うしかなかった。
数日たち副作用が収まると、やっと本を読んであげることができた。
「え!ママ読んでくれるの!わあ!やった!じゃあ大変だから本を持ってるね、ページめくるね」とベッドにぴょんと飛び乗り、マンガ本をひらいた。
まだ日本語は読めなかったので、毎日楽しみにしていたシリーズだったのだ。
前のように本を読んで話をすると、安心したのか泣かずにすっと眠た。母親がいつもできることが出来ない、ということはとても不安なのだろうと思う。
日本での生活は楽しかった。あんなに元気で頑張っていたのに。あの健康な日々に戻りたい。もう少し早く検査に行けば良かったと思う。発見が早ければ早いほど治療も楽になる。もちろん生存率もあがる。
今は体力もなく、元気になりたいと思うものの、すぐに「後何年あるのかな」と考えてしまう。今回は特に具合がわるいので、精神的に落ち込んでいる。インターネットの記事を読むと心配にもなる。
あちこちがすごく痛くなり、もううんざりだ。何もかも嫌になり、叫びたくなる。消えてしまいたくなる。
とにかく早く落ち着いた生活がしたいと思う。
この頃毎日怖い夢を見ていた。ドキドキして目が覚める。喉がヒリヒリと焼けつくように痛む。胸も焼ける。
そんな日々を送っているときに、泣いている息子をつい叱りつけてしまった。口には出さなかったけれど
「もし、ママがいなくなったらどうするの? もっと強くなって!」と心の中で叫んでいた。
叱ってしまった後悔と情けなさと、いろいろな感情でいっぱいになる。
生きていたい。
家族と一緒にいたい。
息子の奥さんや子供が見たい。
夫と一緒に年を取って行きたい。
うんと年を取って
「あの頃は大変だったね」と夫と言える日が来ることを、心から願っていた。