乳がんサバイバー 第16話 癌になったからこそ、気がつけたこと。
2人の母と中学校からの親友は心配して電話をよくかけてくれた。母は日本から来てくれているし、夫ママも1ヶ月後くらいに来てくれる予定になっていた。友人から本や雑誌や食品が送られてきたり、カードやお見舞金を頂いたりもした。
離れていった人もいた。元小学校の関係者、いわゆるママ友と呼ばれる人たちなどだ。打ち明けるのは勇気がいるけれど急な引っ越しで言わないわけにはいかなかった。こういう重い病気にかかると、誰が本当に気にかけてくれているのかがよくわかる。生死にかかわる病人と関わり合いになりたくない人も多かった。
「なんと言っていいかわからなかったから……」と無視する人もいた。反対に何とか気持ちを伝えてくれようとする人もいる。普段絶対に言わないような友達が手紙に(大好き)と書いてくれて涙が出そうだった。
「大丈夫だから」「あきらめないで」「友達だから」というような気持が凝縮されているような気がした。
離れていった人たちのことは気にしないようにしようと後から思ったが、その当時は精神的にきつかった。
見えないものがあれこれと見えてくるのだけど、今まで目をつぶって見ないようにして来たこともたくさんあるんだなと思った。
優しい人の心に触れると嬉しくなるし元気が出てくる。 特に親友の明るい大きな声を聞くと元気がもりもりと出てくる。どれほど助けられたかわからない。
泣き虫の親友はわざと明るい声で
「ちょっと~元気~?あ、元気じゃないよねえ?わはは」なんて電話をしてくれる。
「だいじょうぶだって、昔から強いんだから、癌なんてやっつけちゃえ」と時々涙声になりながら、いろいろな言葉で励ましてくれた。
人は一人で生きているわけではない、沢山の人に支えられているのだと、病気をして初めてわかったのかもしれない。
夫と息子はかけがえのない宝物だ。存在そのものが生きる力になっていた。大病をしたから気がつけたのかもしれない。そういう意味では乳がんをして悪かったことばかりではなかったと思う。
* * *
抗癌剤も3回めになると副作用が強く出てくる。体に蓄積されていくのだろうか?
毒が溜まっていって、濃くなっていくような感じがする。
一番きついのは疲労感だ。 ベッドに横になっているだけなのにマラソンの後のような激しい疲労感。 それがしばらく続いて、その間は何もできない。
まぶたを開けるのさえ、あまりにも疲れてできないことがあった。 私は幸い吐き気は薬でかなり抑えられた。 人によって副作用がひどく違う。こんなにも目も開けられないほど疲れていて何もできないのに、生きていると言えるのだろうかと思った。
それからお腹にする注射も抗癌剤の後10本なのでこの時までに30本打った。もう手も震えずに、さっさと打てる。絶対に自分でできないと思ったのだけど、なんでも慣れてしまうものだと思った。
早く元気になりたいと毎日それしか考えられなかった。
抗癌剤で体力が落ちているときは落ち込むことも多かった。
いつまでこんなことが続くんだろうか。このACという薬は後1回。だけどそれからタキソールという違う抗がん剤がまたある。
帰ってきた夫と息子
うんざりして元気のない日々だったが、2週間ぶりにやっと夫と息子が帰ってきた! すごくすごくうれしい。
「ただいま!今建物のそばだよ」と電話がかかった。
慌てて外まで出てみると2人がスーツケースのそばでニコニコしていた。
息子は一回り大きくなっていた。いきなり少年という感じになっていた。わっと駆け寄ってきた
I missed you!!(会いたかった!)とハグをする。背が急に伸びたような感じだった。
「見て~!下の歯が抜けたんだよ」とぴょんぴょんと飛びながら見せてくれるところは、前と変わらない。
「トゥースフェリーもちゃんと来たよ!日本に来たんだよ!」と言って笑う。
トゥースフェリーとはアメリカの子供が信じている妖精だ。抜けた歯を枕の下に入れておくと夜の間にコインに変えてくれるのだ。
「日本だったから日本のお金だったんだよ!!」というので夫と目配せして笑った。夫がそうしたのだろう。
夫もすごく嬉しそうだ。会いたかったとハグを何度もして喜び合う。
早く帰れるように約一か月の予定を2週間まで縮めてくれた。忙しかっただろうと思う。それでもキチンと息子の心のケアをしてくれていた。本当にありがたい。
一緒に部屋に戻りスーツケースを開けると日本のお菓子などの食品とそれから女性誌やファッション誌もたくさん出てきた。 夫が日本の本屋で大量に女性ファッション雑誌を選んで買ってくれているところを想像してクスッと笑った。
「わ!本当にありがとう!すごく嬉しい!!美容の雑誌まで!」と言うと
I know you (君のことはわかっているよ)と笑う。
本当に2人に会いたかった。
帰ってきてくれてすごく嬉しい。具合は悪かったけど、気持ちは最高にハッピーだった。
息子も買ったものやお土産をあれこれ見せてくれる。嬉しそうだ。
夜、夫と話し合う。気持ちを吐き出して、聞いてもらってすっきりした。いつも力になって励ましてくれる。 素晴らしい夫を誇りに思う。
抗がん剤治療から一週間ほどで外に出たり普通のことができるようになるので、食品を買い出しに行く。 冷蔵庫を一杯にした。
(普通)がどれほど幸せなことなのかわかっていなかった。 何も出来ない数日間は本当に辛い。一週間たち十日たち、やっと普通に歩けたり家事ができる。 そして数日後また抗がん剤だ。 本当に嫌だ。 時々わーっと泣き出したくなる。
それから、ここも借りの施設なので後数ヶ月は住むのかと憂鬱になる。
母が来て以来どこにも連れて行けなかったのでアラモアナに行ってみる。皆でレストランで食事をした。歩いて、買い物をして、笑いながら話をした。
そういう普通のことが、とてもとても幸せだった。