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本当に見てますか?日常の食と健康を意識に上げ記憶させる

どうもタムです。

眼科や心理学の言葉に「ストコーマ」という言葉があります。日本語では「盲点」という意味なのですが、記憶するにあたってとても大切になると思ったので、書くことにしました。

まずはストコーマが体験できる簡単な記憶ゲームをしてもらいたいと思います。

準備

まずは、紙とペン📝などの筆記用具を用意してください。なければ、難しいですが、頭の中でしてもらえたらと思います。

準備はできましたでしょうか?


記憶ゲームの内容

内容はスマホのホーム画面正確に描くというものです。

簡単でしょ?

おっと、カンニングはダメですよ♪

さぁ、ホーム画面のどこに、どんなアプリが配置されているのか。そして、背景のどこに何が描かれているか。


毎日、何度も見ているので、3分あれば描けるのではないでしょうか。

では、ペンを用意して

画面はこのままで、3分間
ホーム画面を描いてみてください。

では、どうぞ




どうですか?


かけましたでしょうか?





ちなみに、僕が10分かかって作成したのが左の図で、正解が右です。(笑)

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いい感じ?と思ったのですが、まぁひどいですね。キンドルに木は生えていないですし、フェイスブックの「F」のマークはもはや「F」ではありません。そして、Twitterの鳥は右を向いているんですね。初めて知りましたよ!


みなさんはどうでしたか??
スマホの画面を1日5回見たとしても
1年間で約1800回これだけ見ていて、覚えていないわけがありません、、が、大抵の人は正確になんて覚えていません。

ストコーマとは

このように、人は何回も見ているのに記憶していないことが多くあります。見ているようで、見ていない。このようなものを「ストコーマ」(視覚的盲点)といいます。

なぜこのようなことが起こるか

それは、脳が情報をシャットアウトしているからです。すべてのことを認知していれば、脳はたくさんのエネルギーを使ってしまいます。必要のないものは、認知しないようにすることでストレスなく生きていくことができるのです。

今回の場合、例えば「ホーム画面を描こうと思って」スマホを見るのと、「普通に」スマホを見るのでは認知の仕方が違い、その結果記憶への定着に差が出るということです。


つまり、僕たちは脳が重要だと判断しなければ認知できず、意識にすら情報は上がりません。そのため、記憶することは難しいと言えます。


食べ物を意識に持ってくる

何かを記憶するためには物事を認知し、意識に持っていくことが大切です。特に食べ物は日常の中に溶け混んでしまいやすい物の一つではないでしょうか。

食事調査をしても、過小評価や過大評価があったり、そもそも食べたものを覚えていない、そんな感じです。

このnoteを見てくださっている方は、食に関する様々なことを考えていることと思います。しかし、料理を作らない食べる側の人たちは、あまり考えていないのではないでしょうか。

極端なことを言うと、ほとんどの人は、食欲を満たすことしか考えていません。ですから、食べ物を意識の上に持っていく手立てをする必要があると考えています。

例えば

給食で、にんじんに注目させようと思えば「今日の給食でにんじんは何本使ったでしょうか?」と投げかけてみたり、にんじんの資料を用意したり、時には農家さんからにんじんを分けてもらい目の前に出す。など

あの手この手で意識の上に食べ物を持っていくことをします。

地味だけれど、こういうのが大切だと思っています。(忙しいとサボってしまいますが…)

いかに興味を引き、意識に上げるか、健康的な食生活を定着させるためにはそこがネックになってくると感じています。

意識に上げたら

その次は、価値をつけていく必要があります。健康的な食べ物には良い印象をつけるのです。

例えば、野菜をいっぱい食べていたら「野菜たくさん食べてるね!〇〇さんの体は喜んでいると思うよ!!」って言ったり、「そんなに野菜を食べてくれてると、僕は嬉しいなぁ!!だって、皆んなが元気になるからね!」なんて、大げさにやってみたりします。
※これは、自我が形成される前、つまり春期前の子どもに対しては有効です。しかし、思春期に入った段階でこれをしても、効果はあまりないですね。

価値をつけることで、食べ物を食べたり、選択したりする時に、健康を意識するようになり、より良い選択に繋がります。

まとめ

今回は、食べ物は意識に上がりにくいということを、「ストコーマ」という言葉から考えてみました。見てるようで認知していないものってたくさんあるけれど、食べ物はほんと溶け込んでしまうなぁと残念ながら感じています。

意識に上げて、認知し、記憶してもらえるように、これからも様々な手段を取っていきたいと思っています。


おまけ:美味いの落とし穴

本能的にうまいと感じるものは、ドーパミンがたくさん出る食べ物です。生物の進化から考えても、うまい食べ物は、健康のためと言うよりは、ドーパミンを出す(快楽、欲求の)ために食べたくなるようになっています。

古くからキリスト教では「暴食」と言う罪があるように、欲望や快楽のままに食べることは良くないこととされていました。

この考えの全てを尊重するわけではありませんが、今の食環境の中で、欲望や快楽のままに食べることは、昔よりも身体を蝕むことになるのではないのでしょうか。

 それは今の食環境では、美味しく感じる料理と健康的な料理には、大きな差があり、美味しくて健康的な料理では、残念ながら美味しさに脳がもって行かれがちになると思うのです。

本能的には、そのようにプログラミングされていると考えた方が良いのかもしれません。

そうでないとするなら、スイーツに手が伸びることも、アイスクリームをついつい買ってしまうこともないでしょう。それに、これほど肥満が増えることをどのように説明するのでしょうか。

僕には言葉が見つかりません。


本能的で直接的な「美味しい」という欲望に対抗すべく、理性的な「健康」をどのように価値付けていくかが食教育には大切であり、これは1つの教養になっているとも思っています。

まぁ、僕もまだまだなので勉強を重ね、経験を積まなければなりません。そして、より良い健康のために、手立てを考え、実行していきたいです。


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