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ラクガキコーチからラクガキライフコーチへ

10年前に作った「ラクガキコーチ」という肩書き。
ずっと名乗り続けてきたけど、最近この名称を「ラクガキライフコーチ」にアップデートしようかなと思った。

ラクガキコーチとしての10年

2014年に個人活動としてラクガキ講座を始めたとき、直感的につけた名前が「ハッピーラクガキライフ」だった。自分はもともと、「楽しく、楽に描く」から「ラクガキ」だと言い続けてきたので。
絵を描くことに肩肘を張らず、みんなが気軽にラクガキを使って自分を表現できたら、それってとてもステキなことじゃないか。そう思って始めた活動だった。

でも、ラクガキは単に「描く」ことにとどまらない。「絵を描く」ということは、何かを表現し、人とつながるための手段でもある。
講座を開くたびに、そこで参加者同士が描くことを通じてコミュニケーションを取ったり、自分自身と向き合う瞬間が生まれることを何度も目の当たりにしてきたし、それこそが自分にとって大切なものだと思うようになっていた。

自分が作ったメソッド「エモグラフィ」も、そのためのものだとあらためて気づいた。「絵心がない」という人でもすぐに100の表情を描けるようになるというシンプルな方法だけど、その本質はもっと深い。

描くことを通して感情と向き合い、対話が生まれ、つながりが生まれる。実際、その力がエモグラフィにあることに気づいてから、たくさんの活用方法も創り出してきた。

「楽しい」の気持ちで駆動するラクガキライフ

ここ数年、会社員としての仕事とラクガキコーチとしての活動、それ以外にも色々なことをしているうちに、キャリアについて相談されたり、講演をすることも増えてきた。
そんな中、自分の人生ってまさに「ラクガキライフ」だなと、あらためて思うようになった。

「ラクガキライフ」というのはきっと、大きな目標に向かって完璧な超大作を仕上げる、というような生き方じゃなく、その時の気分や感情・インスピレーションに従って、自由にペンを走らせる感覚に近い。

もちろん、超大作を描くことに意味はあるし、そうでないと見られないものがあることも知っている。でも時に、人は完璧を目指す道を進みながら、少しの失敗で創作意欲を失ってしまうことがある。

その点ラクガキは、1枚1枚のクオリティは大したことないかもしれないけれど、描き続ければその量や蓄積がおもしろさになることがある。
うまくいったもの、失敗したもの、ちょっと画風を変えてチャレンジしてみたもの、全部ひっくるめた価値になることがあるし、なんなら自分では見つけられない自分らしさを誰かが見つけてくれることもある。

何より原動力は自分が「楽しい」と思う気持ち。
それが、自分にとっての「ラクガキライフ」。

結果としてだけど、このスタイルでやってきてよかったと思っているし、そんな自分だから「超大作を作らなきゃ!」と感じている人に対して、「たまにはラクガキもいいんじゃない?」と伝えられる気がしている。

そしてラクガキライフコーチへ

これまでは「ラクガキが描けるようになるコーチ」と自ら言って、そう受け止められて活動してきたけど、実際には最初から「コーチング」的な要素は意識していて、ラクガキを通じて対話による気付きや行動を生むことが、自分の活動の根底にあった。

そして先日、「創造的キャリアの描き方」というテーマでワークショップの投影資料を作りながら、あらためて「キャリアとは仕事だけでなく、生活を含めた人生全般を考えるべきだ」というメッセージを強く伝えたいと感じ、まさにその時に「ラクガキライフコーチ」という肩書きがしっくりくるなと思った。

「ラクガキ/ライフコーチ」と言うこともできるし、「ラクガキライフ/コーチ」と言うこともできる。どちらも正解だし、どちらでもいい。解釈は人それぞれ、「正解ではなく解釈」というのは、自分がワークショップなどで必ず伝えているメッセージ。

肩書についてはずいぶん迷子になってきたけど、なんだかんだいつもラクガキコーチはそこにあった。その肩書と向き合い、「彫刻=カービング」のように彫って磨いてみることで、また一つ自分の形が見えた気がした、今回はそんなお話でした。

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