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#一番搾りとれたてホップ は希望の光

キリン一番搾りとれたてホップ生ビールが本日より販売開始です。今年収穫したばかりの遠野産ホップを使用した、この時期だけの特別なビール。今年で21年目です。

私は2016年に岩手県遠野市に移住し、ホップ農業を守り、未来に繋げる活動を続けています。2019年には、このビールに対する個人的な感謝の気持ちを書いたnoteを公開しました。

とれいちとは、私たち関係者が使用している「キリン一番搾りとれたてホップ生ビール」の愛称です。「とれ」たてホップの「いち」番搾りです。今回のnoteでも、「とれいち」で紹介させていただきます。

地域の人だけでなく、全国のビールファンに愛される、とれいち。私がこの商品を紹介する時、「とれいちは、過去も今も、地域とホップ農業にとって希望の光です」という話をしています。

遠野市はホップの栽培を続けて今年で61年目です。栽培面積、栽培量ともにピーク時から大きく減少していますが、近年は新規就農者や研修生が増え、栽培現場は活気を取り戻しつつあります。昨年時点での遠野市における耕作者は21名でしたが、今年は6名もの研修生が新たに移住し、栽培技術を学んでいます。来年はまた数名の移住が予定されています。私たちの計画では、数年後には耕作者数は下げ止まり、上昇に転じる予定です。

私たちの持続可能なホップ栽培を実現するプロジェクトが始まった時代に遡って調べてみると、「とれいち」の誕生が起点となり、大きな変化が生まれていることが分かります。そしてそれが、現在のプロジェクトの成果にも繋がっています。

ホップ生産地である遠野市、そして日本産ホップにとって、「とれいち」がどんな影響をもたらしたのか。なぜ希望の光なのか。今回はその話を書いていこうと思います。

※キリンビールのWEBサイトでは「キリンと日本産ホップの歴史」がまとめられています。こちらを読んでいただくと、ホップの歴史について全体的な流れが分かりやすいかと思います。

開発当時、ホップ栽培は危機的な状況

2002年に「毬花一番搾り」という商品が発売し、2年後の2004年には「とれたてホップ一番搾り」と名前を変えてリニューアルされました。

2002年当時、すでにホップ栽培は危機的な状況にありました。海外産ホップの輸入増加、耕作者数の減少など、多くの課題を抱えていたのです。

昭和40年代には80%台あった国産ホップ自給率は、平成10年頃には10%を切ったと言われている。外国産ホップが安くなりコスト高を理由に、使用量を制限された事が主な理由である。国産ホップがヨーロッパ産に太刀打ち出来なくなったのは、日本経済の高度成長と共に、為替レートが凄まじい勢いで円高に推移した為である。

江刺忽布農業協同組合 創立50周年記念誌 「毬花一番搾りの登場」から引用

遠野市におけるホップ栽培面積のピークは1985年の112haですが、2002年には52haと半減しています。当時の記念誌などには、ホップ栽培の未来を憂う言葉が並んでいます。2002年は、生産調整や離農によって急激な減少の最中にあったのです。

当時のホップ農家の皆さんは、「日本産ホップを活かした商品」によってこの状況を打開できるのではないかと考え、キリンビールに対しても要望を続けていました。

東京で毎年行われている国産ホップ振興会議の席上、国産ホップの特性を生かした製品作り、更には消費者への国産アピールを強めるべく要望を続けて来た所である。日本の消費者に提供する為には、日本の風土で育くまれた原材料へのこだわりを、必ず支持してくれる消費者も多い筈と確信しての事であり、国産ホップ耕作者の悲痛な願いでもありました。
平成14年春、いよいよ生ホップ使用ビールの製品化がチラホラ聞こえて来ました。岩手ホップ管理センター石崎所長の斬新な発想と熱心な提唱が会社を動かし、世界初と言われる生ホップの凍結使用の醸造システムが構築され、以後毎年醸造され11月中旬からの季節限定ではあるが全国発売を展開している。

江刺忽布農業協同組合 創立50周年記念誌 「毬花一番搾りの登場」から引用

この状況の中で生まれた「毬花一番搾り」は、ホップ農家が本当に待ち望んでいた商品でした。生ホップを使用するというアイデアを出したのは、岩手ホップ管理センターの所長です。岩手ホップ管理センターは岩手県奥州市(当時は江刺市)にあり、キリンビールの社員が出向していました。当時のことは分かりませんが、想像するに、ホップ生産地の近くにいて栽培や農家の現状をよく知る所長が、危機的な状況を打開するためにそのアイデアを考えたという側面もあったのではないかと思います。

そして所長から「生ホップを活用したビールをつくれないか」と依頼を受けたのが、ホップ博士として有名な村上博士(村上敦司さん)です。生ホップを使用した実験の結果、フレッシュな香りのあるおいしいビールができました。これにより、日本産ホップでビールを造れば付加価値を付けられ、海外産ホップに対する優位性を持てるのではないかと村上博士も考えたそうです。

重要なのは、とれたてのホップで造るということ。とれたての海外産ホップを冷凍で輸入することも検討したものの、コストがかかりすぎて現実的ではない。となると、日本産ホップでビールを造れば付加価値を付けられるのではないか。そういった考えもあり、2002年にとれたてのホップを使ったビールがついに商品化されることになります。

研究者としての価値観を変えたフレッシュホップの香り #021 村上敦司

「とれいち」に使用されているのは遠野市のホップですが、喜んだのは遠野市の農家だけではありません。引用にある「江刺忽布農協を始め国産ホップ耕作者は熱く胸躍らせる想いで支援を続けている」の通り、他の地域の農家にとっても「とれいち」の登場は待ち望まれたものであり、日本産ホップの未来に向かう希望の光でした。

「毬花一番搾り」と命名されたフルーティな香りを持つ全く新しいタイプのビール、国産ホップ使用率95%以上のこの製品を、江刺忽布農協を始め国産ホップ耕作者は熱く胸躍らせる想いで支援を続けている。このビールは平成16年以降「とれたてホップ一番搾り」と製品名を変えてリニューアル発売されている。

江刺忽布農業協同組合 創立50周年記念誌 「毬花一番搾りの登場」から引用

地域と企業の関係性の変化

「とれいち」が発売された数年後の2007年には、「TKプロジェクト」が始動しました。遠野市の「T」とキリンビールの「K」の頭文字をとったこのプロジェクトは、現在も続く「ビールの里構想」の始まりです。

TKプロジェクトが始まる前は、契約栽培地として原料を売買する地域と企業の関係でした。このプロジェクトが始まったことで、キリンビールは原料調達にとどまらず、地域のPRやまちづくりにも関与するようになりました。

この関係性の変化も、「とれいち」の発売が影響していたと考えられます。仕込み式に遠野市関係者が参加したり、ポスターで遠野をPRするなど、「とれいち」関連の取り組みが増えていきました。ちなみに昔は、「一番搾りとれたてホップ収穫祭」という、今の遠野ホップ収穫祭に繋がるイベントも開催されていたようです。

遠野市ホップ栽培50周年 記念誌より

その後、ビールの里構想からは様々な動きが生まれています。代表的なイベントである遠野ホップ収穫祭は今年、2日間で13,000人の来場者を記録しました。イベント以外でも、ビールを楽しむために遠野を訪れる人が増えています。ホップやビールを通じた遠野市のファンも年々増加しており、そうした方々からのふるさと納税などの寄付によって、老朽化したホップ乾燥施設の改修工事も進んでいます。「とれいち」が起点になった「ビールの里構想」によって、地域の未来も少しずつ良い方向に向かいつつあります。

絆を深めるビール

昨日は初飲み会というイベントが開催されました。ホップ農家やキリンビールの皆さん、ビールの里構想の関係者、一般の方々が集い、今年の「とれいち」の完成を祝い、互いに感謝を伝え合う場です。この飲み会は、毎年、全国発売の前日に開催されます。

今年も会場のあちこちで、感謝を伝え合い、未来に向けた抱負を語り合う姿が見られました。「とれいち」があるからこそ、毎年このように絆を深めることができるのです。農家の皆さんにとって、「とれいち」の発売や初飲み会のような場は、栽培を続けるモチベーションにもなっています。

2024年の初飲み会の様子

また、「とれいち」によって、私たちの持続可能なホップ栽培への応援の声も増えていると感じています。日本で、遠野市でホップを栽培していることを多くの方に伝え、ファンや応援者が増え続けています。SNSで「ホップ農家の皆さん、今年もありがとう」という投稿を見るたびに、本当に嬉しく、心強い気持ちになります。

過去だけでなく、今の私たちにとっても、「とれいち」は希望の光です。この商品があるからこそ、毎年関係者の絆が深まり、応援してくれる人も増え、栽培現場の課題解決も進めていけると感じています。

先日、『ビール王国』という雑誌の『〆のビール』コーナーで取材を受けました。私にとって大切なビールとして『とれいち』を選びました。私が遠野市で活動を続けられているのも、このビールの存在が大きな支えとなっているからです。


今年も多くの関係者の努力と協力によって「とれいち」が無事に発売されました。皆様、本当にありがとうございます!日本産ホップの栽培が続くように、これからもよろしくお願いします!

「とれいち」は、遠野市ふるさと納税の返礼品に選ばれています。寄付の使い道を「ビールの里プロジェクト」にご指定いただければ、寄付金は持続可能なホップ栽培の実現に向けて活用されます。どうぞよろしくお願いいたします。

今回のnoteにも登場した村上博士と共に、新しい醸造所の立ち上げを進めています。村上博士は、10月より弊社(株式会社BrewGood)の取締役に就任しました。これも、「とれいち」によって生まれたご縁だと思っています。ぜひ、こちらの記事も読んでいただけると嬉しいです。

新醸造所GOOD HOPSでは醸造家も募集しています。(現在は主に経験者を対象に募集中です)


◎書いた人◎

田村淳一
株式会社BrewGood 代表取締役
株式会社遠野醸造 取締役
観光マネジメントボード遠野 副会長
遠野ホップ収穫祭実行委員長
岩手クラフトビールアソシエーション 幹事

2016年にリクルートを辞めて遠野に移住し、遠野醸造というマイクロブルワリーと、BrewGoodという会社を経営しています。BrewGoodでは遠野を拠点にホップとビールによる新しい産業づくりに挑戦中です。2025年春の開業を目指して、新醸造所「GOOD HOPS」の準備も進めています。

twitter : https://twitter.com/tam_jun    
CONTACT:https://japanhopcountry.com/contact/

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