もうひとりのぼくへの手紙
【詩】
ある朝、もうひとりのぼくが言う
「ぼくはもう行くから、きみはここに残ってくれないか」
そんな予感はしていたから、ぼくも言う
「やっぱり行くんだね。すこしうらやましいよ」
そしてもうひとりのぼくは、ぼくに別れを告げて出ていく
残されたぼくは質量のある世界で質量のあるもののために生きる
もうひとりのぼくは質量のない世界で質量のないもののために生きる
ぼくは生涯、もうひとりのぼくの生き方に憧れ続けるだろう
もうひとりのぼくはいつか、ぼくの生き方に戻りたいと思うだろう
もうひとりのぼくが行ってしまってから半年が過ぎて
ぼくはもうひとりのぼくがいない日常になかば慣れ
仕事帰りに安いワインとスモークサーモンを買ったり
週末には近所の公園の池で鴨にエサをやったりして過ごした
それでも少し酒が過ぎて眠れない夜などに、ふと
もうひとりのぼくの不在が淋しくて淋しくて涙がこぼれた
ある日、ぼくはもうひとりのぼくに宛てて手紙を書いた
ふたりが一緒にいたころの心の平穏
ふたりがひとりずつになった後の欠損感
ふたりがひとりずつになってしまった理由
そして、もうひとりのぼくがいま何を思っているか
手紙を書き終え封筒に入れ封をする
宛名には「もうひとりのぼくへ」とだけ書いてある
ぼくはその手紙をポストに入れる
もし奇跡というものがあるならば
もうひとりのぼくの元へその手紙を届けてくれと
tamito
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