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2023・12・20

聞くと聴く

僕は一昨日くらいから、喉に違和感があって、このまま風邪を引くんじゃないかってビビりながら市販の薬を飲んでいます。
今週末は忘年会なので、何事もなく過ごせたらなって思っています。
これを読んでくださっている方は、元気でやっていますか?

昨日の夜、ふと、今年は、自然な営み、という言葉を随所で感じたり、使ったりしたなーって思いました。

COTENラジオで歴史なんかを聴いていると、色んな流れがあって、その結果、なるようにしてなったんだろうな、という自然の営みを感じることが多くありました。

いま僕が接している、会社や仕事、人、物、などでも、あーこの流れだとこうなるよな、っていう自然の営みを感じることが多かったですね。

僕は、自然の営み、というものが好きです。
もう何もかも決まってしまっている、という意味ではありません。
みんなそれぞれが、それぞれでやった結果、なるように着地するという流れを、僕は、自然の営みだなって思っているということなんです。


そこからもう1つ、ふと、聴くという行為は、不自然な行為なのかもしれない、という考えが浮かんできました。

聴くというのは、いわゆる傾聴みたいな行為で。
自分の判断を入れず、ただただ相手の話に耳を傾ける。
相手の関心に関心を寄せて話を聴く。
例えば、小さい時から英語は学ばせた方がいいと思うんです。という話に対して、どうしてそう思ったの?という反応をする。
みたいな聴き方のことです。
昨今、ビジネス界隈で盛んに行われている、1on1で使うスキルの1つですね。

それとは違い、聞くという行為があります。
聞くというのは、いわゆる普通の聞くっていう行為で。
相手が話してくれていることに、自分の価値観から、それは良い、それは違う、という判断を入れながら聞く。
相手自身、もしくは、自分自身に関心を寄せて聞く。
例えば、小さい時から英語は学ばせた方がいいと思うんです。という話に対して、私もそう思います、私はそう思いません、という反応をする。
みたいな聞き方のことです。


普段僕たちは、相手の話に対して、自分の価値観による判断を入れながら聞いていることが多いですよね。
僕なんか、妻の話なんかはまさに、聞くの方で聞いてます。
判断しながら聞く方が多いってことは、聞くが自然な営み、と言えるのかも知れません。

だとすると、聴くという行為は、不自然な営み、という行為になる。

でもね。
僕は聴くっていう行為が好きなんですよ。
自分の話に関心を持って聴いてもらえたら嬉しいと思うんです。
それは違う、なんて否定されたら悲しいじゃないですか。
否定された経験から、次も否定されるかもって思って、本当に思っていることを言えない、ってなったら、もっと悲しいし、辛いと思うんです。
だから、ちゃんと話を聴いてもらえる、ちゃんと思ったことを言えるって、すごく大切にしたいことだなって思うんです。

僕が聴く側のときも、その人なりの価値観とか文脈があって、いま話してくれていることがあるって思うと、その価値観とか文脈に興味が湧くし、聴いてみたいなって思うんです。
だから、僕は聴いている時の方が楽しいんです。

だから、聴くが不自然な営み、って思うのはちょっと悲しい。

なので、聴くという行為が自然な営みになっていくといいな、って思ったんです。

聞くという行為を、自分も周りの人もみんな長年やってきた。
いわば聞くの筋トレですね。
その結果、聞く筋がちゃんとついていて、聞くが自然にできる状態になっているのが今。

と考えてみたら。
聴くという行為を、自分も周りの人もみんなで長年やっていって、聴く筋がちゃんとついて、聴くが自然な営みになることも、あるんじゃないかな。
そうなったらいいな。
って思ったんです。


これを読んでいる方は、聞くと聴く、どちらをやっていますか?
聞くと聴く、どっちが好きですか?


僕は、最初は、小さい負荷から聴く筋トレを始めて。
いろんな聴き方をやってみて、自分なりの聴く筋を育んで行けたらいいなって思います。

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