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2024・6・30

今日。
なんで、やってないの?
って言われてイラっとした。
いや、イライラっとした。

でも、なぜ、「なんで、やってないの?」と言われるとこんなにイライラするのか。
不思議に思ったので、ちょっと考えてみた。

結論はなんてことないので先に書きますが、その問いかけに、言っている人の評価・判断が入っているから、ということでした。


”なんで、やってないの?”

これは、やっていない原因を教えて?という問いかけ。

やっていない原因を発見して、次に起きないように改善しよう、という意図が、言っている側にある。

そういうと、とても普通の問いかけなのだが。
それは本当に改善しなきゃいけない事象だったのだろうか。というのがポイントなんだと思う。

もし、目の前に、ベビーカーと大きな荷物を持ったお母さんが階段の前で立ち尽くしていたとしよう。
それを助けるために手を貸して上げたが故にやれなかった場合、その人がやったことを改善しなければいけない事象だったのだろうか。

それだけ分かりやすいことだったら、言われた側も胸を張って言えるからいいかもしれないので、別のこと考えてみる。

もし、もっともっと小さな、その人なりに、こうやって見た方がいいかも、という善意によってやれなかった場合。そんなもんは目的を考えたら不要なことでしょ、と思われても仕方がないよなーとやった本人も分かっていて、胸を張って言えるよなことでなかった場合。
それでも、それは改善しなきゃいけない事象だったと言えるのだろうか。

一概に、そうとは言い切れないと、僕は思う。

つまり、言っている側の、改善するべき、という評価・判断が含まれているのが、”なんで、やってないの?”という問いかけだったんだと思う。


では、同じ問いかけを、評価・判断が含めずに問える言い方はあるのだろうか?

気持ち的に評価・判断をせずに、”なんで、やってないの?”と問いかけるのも、1つの方法だが、伝わりにくいと思った。
じゃーどうするか。


どうして、やれなかったの?

と、問いかけたらどうだろうか、と思った。

やっていない、という事実の原因を聴くのではなく、やれなかった、という事象に対しての要因を聴こうとする問い。

これだったら、少し、評価・判断が薄まるのではないか。

できれば、さらに、何かあったの?、というフレーズを追加するとより効果的に、ダメなことだから改善しなきゃいけないとは思っていない、ということが伝わるのではないだろうか。

わかんないけど(笑)


てなことを、今日を振り返りながら思いました。という話でした。
じつは、評価判断とは違うものが出てくるんじゃないかなーって考えたけど、結局そこかいっ、という結論だったことが、ちょっと微妙なんですけどね。

なんで、やってないの?
というフレーズでも、何かの工夫で、評価判断を含めずに問いかけることができないのものか。
何かあったの?って加えればいいのですが、そうではない、そのままのフレーズできないものか、とも考えていたんですけどね。それも無理でした。
残念。


さて、そろそろ、
なんで、子どもと寝ないの?
って問われそうなので、この辺りで、思考実験は終わりにいたします(笑)

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