選択的夫婦別姓と中絶とカルト性
これほど大きなお世話=つまり本人たちが自由に決めて当然
の事柄(そして、中絶に関しては完全に、妊娠している女性こそが決定権を持つべき)は無いだろう。
これを、いいや本人たち、あるいは妊娠している女性に決めさせては駄目だ、国が関与する。国が法律で一つの結論に統一する。と言う政治家や宗教団体は、保守だリベラルだ革新だではなく、実際のところは人権侵害だと私は思う。
たとえば、どこかの宗教団体が、教祖の代替わりで必ず起こるであろう、世襲における権力争いから、往来のカルト的右翼から、元々内包していて当然の様々なニューソート系思想を強調しだしたところで、あるいはその真逆のコースに走ったとしても、その宗教団体が本当に、自由と人権を尊重し、宗教で人の思考を束縛し洗脳して、コントロールしない、カルト的団体でないかどうかなど、全くわからない。
その団体がカルト的でないかどうか、一つのチェック方式は(必要十分ではなく、あくまで必要条件だと私は思うが)、その教団による教義、あるいは指導者から信者にこうすべきといった「教え」に、信徒の自由意志に任せるとは言わず、選択的夫婦別姓に反対していたり、人工中絶に反対しているなら、明らかに宗教によって信者の意思を統一し、都合よくコントロールしようというカルト的思想を内包していると私は考える。
どちらも、それを望まない人は拒否できる、選択できるというのが、それらに異を唱え、国家が法で一つの結論に強制しようとする人たちの、カルト性カルト気質を示すわかりやすい指標になるだろう。もしも保守は皆、これに反対というなら、やっぱり保守とはカルトでしか無い。
生長の家に限ったことではないが、あらゆる宗教系の隔離した場所で行われるセミナー、たとえば練成会なんぞ、私という個人にとっては、カルト養成所でしかない。
もちろん、下はたまたまネットでみつけたもので、全ての信者の問題ではないが、私の知る生長の家の指導者も、私が子供の時、あきらかに詐欺的手品で、私にトラウマ的恐怖を植え付けたことを、私は子供心に強く記憶していて、成長しても絶対に忘れないと、当時決心したのをはっきり覚えている。
その時感じたのは、一部であろうが宗教家という腐った大人(自分で考えるのではなく、神という権威や他者の教えとやらで、子どものように弱い者たをコントロールし、縛り付け、支配しようとする)たちの、卑怯ではずべき汚いやり口である。そんな彼らがもしも信仰心があるというなら、信仰心とは、人を狂気へ導く麻薬であろう。
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追記 上記漫画の作者さんが、Noteでも記事を挙げられていたので、紹介させていただきます。別に特に一つの宗教だけだと考えるのではなく、どの宗教でも本質的に似たような問題を抱えていると私は考えています。
幸いなことに、私の父親は特定宗教に興味がなく、(たまたま結婚した母親が、完全に生長の家にはまっていたことから、そうなったともいえますが)信者ではなかったので、ひどい家庭内暴力を受けたことはなく、母親が病気がちだったことから、私は至って早い段階で自分が考える通りに行動でき、簡単に宗教の束縛から抜け出せた、運が良かったわけですが。