アメリカを信頼できない理由 2

 いや、信頼できないのではなく、もはや絶対に信頼すべきではないということだろう。今のアメリカは世界における民主主義国のリーダーには、全くふさわしくないという事実を、イスラエルによるハマス掃討という目的のために延々とこれからも行われるパレスチナ人虐殺と暴力、抑圧を止められないアメリカに失望し、おそらく過去最大数の、民主主義国の一般市民が感じているのは間違いないだろうから。

実際の所、過去何度もこのようなことが、南米や、中東で繰り返されてきた(もちろんベトナムもだろう)が、当時はネットもなく、何が行われているのか、当事者国民以外は、ほとんどわからなかったのだが。

他国を自らの思うようにコントロールするその基準が、民主主義とか、彼らの信じる倫理観とかは、あくまでお題目であったわけだ。結果的にアメリカがコントロールするのだから、アメリカにとって都合のいい民主主義政権なりができるので、何人それで被害を受けようが、私達は一般国民を解放したというのが、アメリカの言い草だったのだが、それが本当にうまく機能した国などほとんどない。

そりゃそうであろう。アメリカ国民にとって都合のいい他国というのが、結局は彼らにとっての、民主主義なのだから。

たぶん例外は日本なのか? きっとそうだろう。だがそれは、私達がやはり理想を信じて、受け入れたからだ。そして同時に、その理想を戦後はできる限り守ろうとしたからだ。

今一度明確に、アメリカとの関係を突きつけられているだけなのだが。

もちろん、だからといってアメリカと同じくすっかり強大になった軍事力を背景に、近隣諸国に威圧的な行動を繰り返し、国内ではウイグル自治区における人権侵害を抱える中国共産党や、独裁者プーチン率いるロシアと比べたら、日本としてはアメリカがリーダーであってほしかったと思うだろうが。

私は今の日本は、好むとか好まないとか、それを良しとするか、否定するかはともかく、事実上今はアメリカの衛星国家であると感じているけど、何も敵対するのではなく、相手を強国だと認めながらも、手足を縛られながら庇護下に置かれている現状からの脱却を考えるべきだと思う。

このまま、アメリカ主導の、世界の覇権争いに日本もその陣営として乗っていても、そもそも世界の半分は、もはやアメリカがリーダーであってほしいと望んでいないだけでなく、そのあまりの身勝手さに、明らかに退いているというのが正直なところだろう。

私が、日本の大人たちが勘違いしていた、と思うのは、日本はどれだけ頑張っても、ほんとうの意味での大国(つまり、アメリカや、EU連合や、ロシアや、中国、おそらく将来はインド対等の国力)にはなれない。

それを無理に続けるのは限界であるということだ。それがまさしく国土の広さであり、その国土が持つ資源の問題である。そんな日本が、大国のマネをしていて、うまくいくわけがないと思う。

日本という国を守りたいなら、少なくとも基本は軍事力ではない。他国が、それを守る国がなくなっては困ると思わせる、付加価値の一つが、どれだけそれが理想論であっても、世界が目指すべき徹底した平和主義、不戦主義に基づく、独自外交であろう。そしてそれを可能だと思わせる叡智の集結であろう。

国力に見合った防衛力なんてのは、それこそ限界がない。そもそもそんなの数値化できるわけがない。むしろ、普通の国にしようという考えが失敗であると、私は思っている。こと防衛力に関しては、日本は普通の国でなくていいのである。

民主党政権から、自民党政権に変わり、最大の失敗が集団的自衛権を認めた憲法の無理な拡大解釈であり、その杜撰で、デタラメな国会運営と政府の隠蔽体質であった。

そして、私が立憲民主党や、当時の野党連合を支持した、(初めて無党派層が、明確に一つのテーマで団結した)最大の理由であり、それはやはり絶対に防ぎたかった、未来の日本への禍根である。今から引き返すのは、ものすごく難しいだろうが、もしも未来を担う人たちがそれを願うなら、能であろう。残念ながら、結局はその人達が決めることだ。私達の世代(昭和生まれ)は、すでにこの点では敗北した