家族への中傷はすべきじゃない
たとえどれほど悪人だと信じる根拠が在り、どれほど批判すべきであると考える人物であろうと、その本人の家族自らが表立って著名人として活動し、その行動や発言を批判するのではない限り、(もちろんTVで会見し、自ら夫の不倫とそれにまつわる人間関係を、夫の弁護のために述べる岸和田市長夫妻が、自ら述べたことについて意見を述べたりその関係を真っ当じゃないと、自分の感性で批判するのに、私が遠慮する必要などどこにもないが)その家族について、一方的な情報を、批判目的で流布するのは、それこそどんなイデオロギーだろうが、認めるべきじゃないと私は思う。
それは、トランプの娘の旦那への批判とは意味が違う。
自分のパートナーとしてその批判されるべき人間を選び、家族だからと弁護する者の発言を、悪党につるむ者として批判するならまだしも、その二人の子どもや、単なる親族にとって、本人にはどうしようもないことがほとんどだ。
一方で、悪人ほど家族をやたらと出したがるのも問題ではあるが。別に出してもいない、出てもいない親族、まして未成年を引き合いに出すのは、それこそ人間性を批判されても仕方がない。悪いことは言わないから、やめておいたほうがいいと、コメントするのではなく、フォローは外すことにしたのは、当人にとってはどれほど、私がどうでもいフォローワーだろうが、当人が気づこうが気づくまいが、個室便所のオーナーである私が、自分の便所で落書きを続けるうえでのフェアネスだ。
(たとえば、元大阪府知事、元市長、元維新党首であった橋下(敬称略)がなにかに付けて、かみさんに怒られたとか、自分の子供に怒られたとか、自分の失言や過去のスキャンダルについて、近親者から批判があったとして、批判をそらすことを繰り返したのは、単なるごまかし、印象操作に過ぎず、家族が批判しようが俺が批判しようが、第三者が批判しようが、公職についている者の過ち、言動と、その対処に何ら関係がないばかりか、家族が言えば反省するが、もしも言わないなら反省しないと言ってるのとほとんど同じにしか思えない。つまるところ、家族を出せばごまかせるとばかりに、有権者をバカにしている証拠だろう。実際のところ、家族すら、彼らの使う手法にすぎないのは、それこそ馬鹿でもわかってるし、馬鹿でも気づくべきだが。つまり、家族を持ち出すことで、公共の長としての問題をファミリー・アフェアに矮小化してしまうという、いかにも詭弁の得意な輩らしい、世渡り術にすぎないが)
一方で、著名人、あるいは政治家、等の発言や行為を批判する時に、関係ない家族を引き合いに出し、中傷するのは本当に辞めたほうがいい。もしも誰かを応援しているなら、逆にその敵から利用される。もちろん、勝手に応援する者や、支援者の過ちを、当人とは何の関係もないのに、批判に利用する相手も卑怯者であることは間違いないけどな。私達は結局それを互いに繰り返しがちなのだから。気づいているなら、辞めたほうがいいってことだ。
本当に、誰の得にもならないから。こんなのが、新年の一発目の便所の落書きになるのは、残念であるが。当人が気づいてくれるといいのだけど。
そうそう今年の抱負だが、本当に、もっとあらゆる人間にとって良い世界、まともな世界に私達はできるはずだ。少なくともそれを目指し、自分という個人は振る舞えるはずだ。それこそ他者は関係ない。自分の人生なのだから。どう生きるかは自分で決めれるし、決めるべきだ。よりよく生きようと考え努力することを、否定する者などどこにもいないだろう。それさえ否定したいならすればいい。俺もオマエなんかどうでもいい。