学級委員長は、男女ペア
中学高校では、あまりはっきり覚えていないが(多分私が、生徒会とか自治会に興味が全くなかったからだろう)、間違いなく小学校ではそうだった。
なぜそうなのか、理由は全く分からなかったが、今ではなんとなくわかる。おそらく、少なくとも私の母校(私立)の教師達の考え方が、たとえ形だけでも男女同権を志向していたのだろう。地域や公立では違うのかとか、知らない。真面目に理由を考えたこともなかったし。
そしてこれを思い出させたのがクォータ制である。制度的な建付けはわからないが、私はまさにそれと同じことを、国会議員や、総理大臣でさえ、行うべきではないかと、本当に思っている。つまり男女のペアを、常に一つの基本単位にして、政治的決定を下すという考え方だ。
もちろん、内閣閣僚の構成も限りなくこれに近づける。
(もしも、すべての省庁で男女の大臣をそろえるのは難しいなら、副大臣はかならず反対の性で、より強い権限を与えるなら、疑似的に可能だろう)
そしてすべての選挙区で、比例も含めて、まず国会議員は、必ず男女を同数で選出する。候補者の数は関係ないのである。
とうぜん、両者が合意できない政策は行わない。同意するまですり合わせる。常に男女の指導者、代表者による政治的合意が必要な社会で、男女間の性差別など、どちらにとっても存在するだろうか?
勘違いしてほしくないのは、プライベートにおける男女の在り方など、まったく関係ないということだ。別に男性首相と女性首相がいたからといって、男と女で家庭を持たなければいけないとか、性にまつわる多様性を否定することは全くない。ただ、常に政治的決定は男と女セットで行われる(女性にとっては女と男だろう。いやほんと、そういう呼び方の順序とか、代名詞は私はどうでもいいと、ずっと感じている。そういうのよりも先に、政治権力の正当な分配だ。それは、女性のほうが政治権力を持つ社会になったなら、男性もきっと、そうであってほしかったと思うはずだ)
(象徴天皇も、男女ペアで選ぶというのも、一つの考え方だろうがそれは私のように天皇制そのものに興味がない、なくすというならいつでも賛成する人間が考える必要はないだろう)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?